「覚悟」とは苦痛を回避しようとする生物の本能すらも凌駕する魂の事であるが、
「お嬢さま」とは己の気品と尊厳を以て世界と戦う意志を秘めた、気高き魂の有り様の事である!
そんな感じで、週末に出かけた先の本屋にあった「お嬢さまことば速修講座」(ディスカヴァー・トゥエンティワン、監修:加藤ゑみ子)を買ってしまいました。本の存在は知っていて前からちょっと気にはなってはいたのですが、書店で本物を見た途端に私の中の乙女要素が疼いてしまってつい。
ごきげんよう(挨拶)。
それでこの本、タイトルに「速修講座」と銘打ってあるだけあって、いわゆる「お嬢さまことば」を使って会話をするためのコツが、要点を押さえた形で簡潔にまとめられているのが特徴です。文体が「ベテランの礼儀作法の先生がお嬢さまに心得を説く
」ような形になっているので、読んでいるうちに自然と自分が「お嬢さま修行中」みたいなマインドセットになること請け合い。
内容も、実際に「お嬢さまことば」を使う人の喋り方をリサーチして作成されたと言うだけあって、極めて実用的で判りやすく作られています。
曰く、
恐れ入ります」を使う。
ことのて結び」を使って雰囲気を醸し出す。「ですね」→「
ですこと」、「そうですか」→「
そうですの」、「いいの?」→「
よろしくって?」等々。
さようでございますか」と相槌を打つ。否定的な回答をする場合も、返答の言葉は同様。肯定・否定を曖昧に表現するのがお嬢さまである。
ごきげんよう」の挨拶も元気よく。
万事がこんな調子で、お嬢さまを演じきるために必要な心得や技術が一通り書かれてます。
この本を読む必要があるのはお嬢さまでも何でもない普通の人々ばかりなので、お里が知れて俗物扱いされてしまっては元も子もないのであります。
でもまあもっとも、実践編の最後の方にはちゃんと「どうせ相手も『お嬢さま』ではない可能性が高いので、とにかく照れずに自信を持ってお嬢さまことばを使え
」みたいなことが書かれているんですけどね。現実社会にはもはやリアルなお嬢さまはほとんど存在していないということは、本を作る側もちゃんと認識しているのです。
以前ここで紹介した「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」にも書かれていたことですが、現代社会における「お嬢さまことば」とは、『この言葉を使う人はステレオタイプなお嬢さまである』ことを表現するために存在している、限りなくフィクションに近いものに過ぎないのです。実際にお嬢さま言葉を使っているのを耳にしたことがあるのは、アニメ版「マリア様がみてる」の小笠原祥子さまの台詞だけ! なんて方も多いのではないのでしょうか。
では、何故今あえて「お嬢さまことば」を使うのか。この本では、それを「気品」という言葉で説明しています。
お嬢さまことばを使う効能として、この言語体系で喋ろうとすると、自然と語り口が謙虚で慎み深く丁寧な、いわゆる「お嬢さま」っぽいものになることが挙げられます。お嬢さまことばを操るためには知性が必要なので、喋りながらも「短縮せず、ゆっくり、最後まで」を心がけながら常に頭を働かせることで、自然と慎み深く丁寧な、気品を帯びた口調になるのです。
即ち、お嬢さまことばには独特の「気品」が宿っており、それ故に使う者の言動や考え方を律する効能があると考えられます。言葉が自分に馴染んで行くに連れ、「お嬢さまことばを使う自分」を自己肯定的に捉えるようになり、やがてその人は自然とその言葉を発するに相応しい気品と人格を宿すことになるでしょう。
そして会話の相手に対しても、「丁寧に喋るお嬢さまと会話をすることで、自分の社会的な立場を高められた感覚」を与えることができ、その相手もまた自分をそれ相応の人物として尊重して接するようになる――と、この本は説きます。相手と自分が相互に高め合う関係になることができれば、自分の「お嬢さま」としての立場は相手が作ってくれるのです。これこそが、お嬢さまことばの本当の力であると言えます。言葉には魂が宿ると申しますが、お嬢さまことばには文字通り「世界を変える力」があるのです。
「マリみて」にも、祥子さまにお嬢さま口調で話しかけられた書店員が、彼女の気品っぷりに圧されて突然丁寧な口調になって返答するなんてシーンがありましたけど、これは現代でもお嬢さまことばの力が十分通用することを端的に象徴したエピソードであると言えましょう。
現代社会でお嬢さまことばを使うということは、相当にしんどいことです。ヘマすれば簡単にお里が知られてしまい、高貴なお嬢さまから「は、はわわわ~
」なドジッ娘に地位が逆戻りしてしまいかねませんし、更にはせっかく習得したお嬢さまことばを他人の悪口を言うことに費やす、お嬢さまの暗黒面に目覚めてしまう可能性があるのもまた事実。
しかし、お嬢さまことばが世界を変える力を持つ言葉である以上、使う者にもそれ相応の心構えが必要になるのです。例えば、「マリみて」の小笠原祥子さまはほとんどの局面においてお嬢さまことばを使いますが、これは単に「彼女は生粋のお嬢さまである」という作品内の記号的な意味合い以上に、「彼女はお嬢さまことばを常に使うことで、己の気品を保とうとしているのだ」と知ることが重要なのです。彼女は親しい人相手にもあえてお嬢さまことばを使うことで、彼女の世界を彼女自身が「お嬢さま」として気高く振る舞うに相応しい場所にするため、あえて日々世界と戦って学園の品位を上げようとしているのです。
祥子さまはただの根性曲がりじゃないんですよ! クィーンオブ根性曲がりなんですよ!(うるさいよ)
なお、「お嬢さまことばで罵声を浴びせられたい!
」と懇願したいどうしようもないマゾヒストな貴方には、この本の巻末にちゃんと「お嬢さまらしいけなしことばリスト」が掲載されているので、「ふくよかでいらっしゃる!
」(デブに対する言い回し)「お派手な趣味でいらして!
」(悪趣味な人に対する言い回し)などの、なまじ政治的に正しいためにかえって怖い言葉の数々を祥子さまヴォイスで脳内再生し、存分に悦に浸って頂きたい。
またbk1にトラックバックできないような書評を書いてしまいました(書評?)。
C-WWW::What's New :: ブックレビュー:お嬢さまことば速修講座...
「マリみて」などですっかり普及した「お嬢様言葉」ですが、いったいその本質をどれだけの人が理解しているのでしょうか? また、ある有名作家が「お嬢様言葉」を「異様なる言葉づかい」と叩いていたことを知っている人は少ないでしょう。今日は、お嬢様言葉について考えま
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