2005/05/10

■GW中に読んだマンガの感想特集(いきなり)

さよなら絶望先生

 「久米田康治」というネームバリューから期待される社会風刺ネタの冴えは相変わらずだが、その辺を抜きにしても、マンガとして普通に面白い作りになっているのは流石だと思った。「進路絶望」がそのまま「進路希望」として他の教員に通用してしまう第2話のオチには激しく感動。パロディの元ネタ探しも楽しいけれど、読者の「知性」を刺激してニヤリとさせる話をさらりと作って読ませるところこそが、久米田先生の真骨頂なのではないか。
 問題は、こういうセンスがどこまで「一歩」で「クニミツ」で「ネギま」なマガジン読者に判ってもらえるかどうかという点か。案外、半年くらいであっけなく終わっちゃう可能性もあるような気がする。

 あと、天敵の赤松先生が、久米田氏がマガジンっぽくない個性丸出しな作品をぶつけて来た件に対して「こういう戦法が通じたのはCLAMP先生だけ」みたいなコメントでその先行きを危惧していたが(4/26の日記)、でも個人的にはCLAMP先生もマガジンでは相当ダメージ食らっているのではないかと思う。ただ、CLAMP先生はゴッグ並に頑丈なので、「さすがゴッグだ何ともないぜ」理論でダメージを食らっていない様に見えているだけなのではないか。どうでもいいか。

失踪日記

 吾妻ひでお氏が失踪中に経験した社会の底辺における様々な出来事を、自らライトかつドライに綴った問題作。早くも今年度のマンガ賞を総ナメするのは必至と思われる傑作(というか怪作)。

 内容だけど、野宿生活編がやっぱり凄い。人間ってこんな極限状態に置かれても生きられるものなのか、と思うと同時に、案外こんな生活でも「生き続ける」だけなら何とかなるものなのか、とも思った。でも多分後者の感想は、吾妻先生の絵柄に騙されてるに違いない。あとアル中はやっぱダメなので気を付けよう。
 個人的には「先生ほどの方が何故!」と驚いている、ロリコン警官に激しく共感した。そりゃこんなところで憧れの大先生に会ったらビックリするよなあ。「夢」と色紙に書かせたりするのも仕方ないよなあ。

のだめカンタービレ

 前々から「面白い」と聞いていたマンガではあったんだけど、「講談社漫画賞受賞!」のアオリ文句に根負けして購入(弱い)。とりあえず3巻まで読んだけど、評判以上に面白い。音大という場所じゃないと存在が許されなさそうな奇人変人ばかり出てくるところがステキ。さすが「平成よっぱらい研究所」を描いた二ノ宮知子先生は違う。何かが。
 基本的には社会不適合者以外の何者でもないヒロイン役ののだめがやたら可愛く思えてしまうのは、主人公との掛け合いの面白さによるものなのか。それとも、やっぱり「これくらいの歳の娘はこれくらいおかしい方がカワイイんだよね!」と思ってしまいがちな、自分の歳のせいなのか。

 あと関係ないけど、「カンタービレ」という単語はなじみが薄いせいか、最初のうちは「のだめカンタビーレ」とか「のだめカンビターレ」とかとタイトルを誤解していた。
 恥ずかしいので内緒にしておこうかとも思ったが、試しに「カンタビーレ」や「カンビターレ」でググッてみたら結構似たような間違いをしている人がいたので、安心して恥を晒すことにした。

働きマン

 「監督不行届」のおかげで男性オタクの間でもすっかり名が知れ渡った、安野モヨコ先生のコミック。恋よりも女であることよりも仕事を優先して「働きマン」と化してしまう、大変に男らしい主人公の女性が大変に魅力的(人間として)。こういう女性と結婚したい! とか公言しちゃうから、自分は「椎名先生のマンガのファンって、やっぱり美神令子みたいな強い女性の尻に敷かれたいものなんですか?」とか他の女性から言われてしまうんだなあと思った(マンガの感想とは関係ないコメント)。
 それはともかく、このマンガはあくまで主人公を中心とした働く女性の視点で描かれているが、登場する男性陣もそれぞれ「仕事」に対して独特のポリシーとスタンスを持っており、誰もかれもがやたらと格好いい。読んでると仕事に頑張りたくなる効能があるので、仕事で気合いを入れたい人は男女問わず読むが良いです。

 あと、このマンガの中に出てくる「男スイッチ」というフレーズにおける「男」は、セックスやジェンダーとしての男ではなく、もっと抽象的かつ概念的な意味での「男」であることに違いない。こういう表現をする場合に最も適した漢字はやっぱ「」なんだろうと思うが、でも安野モヨコのマンガで「漢」はどうか。案外格好いいのか。

電波男

 みんな大好き「しろはた」の本田透氏が書き下ろした、現代社会におけるオタクが求める愛とは何か? を世間に訴えた話題作。
 マンガじゃないですが、読んだのでせっかくだからちょっと触れます。

 この本、本来なら不変であったはずの「愛」さえもが「金」と交換可能な資本となってしまった「恋愛資本主義」と著者が称する現代社会における哲学書としても読めるし、またそんな社会で「二次元」を愛するしかない境遇に立たされたオタク達に救済の道を指し示す宗教書としても読むことができるとても奥深い本なのだけど、基本的な位置付けとしてはやっぱり「負け犬の遠吠え」に代表される現代未婚女性特有の一方的な男性観に対する回答(というよりは強烈なカウンター)、と捉える社会学的なアプローチで読み解くのが妥当なのかなと思った。
 本の主張からは相当先鋭化している印象を受けるが、Exciteブックスのインタビューを読めば、著者の主張は「異性にモテなくて妄想に逃げても別に悪いことじゃない、と思えば気楽になれるよ」という点にあることが判る。そういう意味では、「いざとなったら死んじゃえば良い、と思えば気楽になれるよ」と主張した「完全自殺マニュアル」みたいな位置付けにある本とも言える。多分。

 そういう内容の本なので、どうしても語り出すととマジメになってしまいがちなんだけど、そんな中で「電波男と負け犬女の恋愛」という視点から書かれた、「Beltorchicca」(demiさん運営)の4/1の日記にある『電波男』評がもの凄く面白かった。
 ここまで電波男と負け犬女の恋愛に対するスタンスが開いてしまった今、果たして両者が歩み寄って愛し合えるだけの余地は残っているのか? 「電波男と負け犬女の恋愛」というテーゼは、今後の日本を支える世代でありながら将来に夢も希望も持つことができない、20~30代の男女が共有している心の問題をも象徴しているのではないか?
 そんな気がしてきたぞ?(気のせいかも)

※私信:

 今週は仕事が超忙しくなるので、しばらくの間は更新やコメントへの返信などの活動ができなくなります。スンマソ。
 あと、Amazonアソシエイトやbk1ブリーダー経由でお買い物をして下さった方々に感謝。

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