2007/08/25
■シグルイ9巻
『人か魔か牛股権左右衛門
』
獣かそれ以下か 鬼かそれ以上か
ここで「シグルイ」の感想書くのも久しぶりなような気がします。
で、前巻のシグルイ8巻は、「剣術」という戦闘技術の究極に行き着いた藤木源之助・伊良子清玄両名の技の応酬を理論整然と描いた、非常に繊細な話だったという印象だったのですが、この9巻では源之助の片腕が落ちたと同時にそんな繊細さはもはや微塵もなくなり、魔神モードに入った牛股権左右衛門が内蔵をまき散らしながら大暴れする姿を読んで呆気にとられるしかない、という話に早変わり。
8巻の頃から牛股がずっと我慢してきた「ここにいる全ての輩を片端から斬り殺してしまいたいという衝動
」が、ここに来て大爆発してしまったのでしょうか。
また自分の記憶だと、原作における牛股が虎眼流を継げない理由は「既に結婚して奥さんがいるから」だったと認識していたのですが、この「シグルイ」だとなんか許嫁を殺害した上に自分の睾丸を(以下略)、みたいな話になっていてちょっとビックリしました。でもこれは「シグルイ」であり、「シグルイ」である以上はこれくらいのことは当たり前なのです。
この巻を読んで、シグルイ4巻で虎眼先生が鯉を生でボリボリ囓っているのを目撃した牛股師範が「ごゆるりと…
」と呟いて静かに退散した時の心境が理解できた気がしました。今の山口貴之先生は、緩慢な時の虎眼先生くらいに絶好調だと思います。よく判らない表現ですが誉めてます。
2006/12/06
■会長はメイド様1巻
久しぶりにサンデー以外のマンガの感想ー!
マンガ好きな人なら既にご存じの「会長はメイド様!」を、ようやく読むことができました。以下短観。
読んでちょっと驚いたのが、冒頭にメイド喫茶に関する説明的なシーンやカットが全く入っていないところ。主人公がメイド喫茶でアルバイトをしていることが読者に提示される最初のシーンが、(お約束的な「おかえりなさいませご主人さま~」的なシーンではなく)主人公がメイドの格好で「こんなバイトやめときゃよかった
」とやさぐれた台詞を言いながら巨大なゴミを出しているところであるのが、何か凄いなと思いました。何というかこう、エルフやドワーフとは何かという説明が全くないまま、これらの亜人種がいきなり出てくるファンタジー小説を読んだ時みたいな感じ。そうか、お嬢さんはドワーフを知ってる人なんだね。みたいな(なにそれ)。
現代日本において、既にメイド喫茶はコスチュームを出すだけで「あー」という感じで読者がその全てを納得できる程までに一般的な存在になっているんだなあ、と改めて思った次第です。
もっともこのカットは、主人公の性格、彼女の「メイド喫茶」なる存在に対するスタンスの表明、そしてこのシーンの直後にライバルの男子にバレるというバツの悪さをひっくるめて全てが必要不可欠なものであり、ある意味このマンガの有り様を象徴していると思われます。
普通のマンガであれば「おかえりなさいませご主人さま~」を持ってくる状況であえてこんな演出を持ってくるところに、作者のセンスを感じました。
そんなアレで「主人公のカタブツ生徒会長が、みんなに内緒でメイド喫茶でバイトしている」という設定そのものは奇抜なんですけど、基本的なストーリーは「弱みを知られたライバルの美男子に反発しつつも、次第に彼のことが気になって(以下略)!
」的な、少女マンガとしては極めてスタンダードな構成になっており、安心して読むことができる作品だと思います。
何より、常に毅然として凛とした意志の強さを持つけど決して我が強いだけの少女でもない、主人公の美咲がとても魅力的。男子に生まれたからには、こんな生徒会長に一度でいいから隷属したい! と思わせるに十分です。
気が強い女子が大活躍する系のマンガが大好きな(かつ、この手の少女マンガに抵抗がない)人にはお勧め。
2006/08/20
■夏休みの友
飲み会の当日、山田さんから「こわしや我聞」の藤木先生が作った同人誌「夏休みの友」を頂きました。ありがとうございます!>山田さん
それでこの本の中身ですが、要するに我聞のメンバーがそろいも揃って「絶チル」4巻のおまけコミックみたいな騒動をする話です。つまり温泉ネタ。
ご本人が「サービス精神10割増し」と仰っているように、陽菜さんや果歩や桃子のありがたい裸がたくさん拝める、ファンとしてはとても嬉しい内容になっているのが特徴です。特に、桃子の裸のエロさはただ事ではありません。
でも裸のコマ数からすると、一番脱いでるのは我聞ではないかという気がしますが。我聞のポロリがないのがちょっと残念(残念?)。
何にしろ、藤木先生が楽しんで作ったことが誌面からもよく判る、作者の愛情溢れるとても楽しい本だと思いました。
勿論、この調子でサンデーでの早期の新連載も超期待したいところ。こういうマンガは、やっぱり本誌で堂々とやって頂きたいです! 藤木キャラのポロリが読めるのはサンデーだけ! みたいな感じで一つ!
2006/04/02
■メモ:少年マンガ誌の現在
毎日新聞社発行の「まんたんブロード」に掲載された、更級修一郎氏インタビューによるマガジン・サンデー・チャンピオン各誌の編集長インタビュー記事が、現在ネットで公開されています(更級修一郎氏のブログのエントリより)。
今も梶原一騎的ダイナミズムを志向するマガジン、今もあだち&高橋作品の強い影響下にあるサンデー。
共通するのは、80年代までに形成されたスタンスを踏襲し続けていること。
そして識者の座談会では、子供向けの娯楽に徹するスタイルを90年代後半から洗練させたジャンプは強い、という話題に。
出席者達がみんなジャンプの話題になると何となく饒舌になるのは、やっぱそれだけ今のジャンプには識者を語らせたくなるモノがあるからなのかなあと思った。
2006/03/15
■第4回仁川経済大学コミックアワード
もうネットでは旧知の話題になってしまいましたが、みんな大好きバーチャルネット博士こと駒木さんのサイト「駒木博士の社会学講座」で開催された「第4回仁川経済大学コミックアワード」において、ついに連載版「絶対可憐チルドレン」がグランプリの栄冠に輝きました。
駒木博士のところのコミックアワードは、ネット上におけるマンガ評論の権威として確立しているイメージがあるので、そこで「絶チル」が最高の形で評価されるというのはファンとして純粋に嬉しいです。
これでコミックス5巻の販促の帯には、「これぞエンターテインメント!! 2005年最高傑作と評された『絶対可憐チルドレン』」とか書かれること間違いなしですネ!
「絶チル」はグランプリと同時に『ジャンプ&サンデー最優秀長編作品賞』も受賞しているのですが、その受賞理由として書かれている
「『絶対可憐チルドレン』はとんでもない作品です。どれくらいとんでもないかと言うと、何もかもが巧過ぎるので、普通に読み飛ばしてたら全く凄い事に気付かないぐらい、とんでもない(苦笑)。
」
というコメントが、「絶チル」が如何に完成度が高いマンガであるのかということを、とても判りやすく表現していると思いました。
つまり「絶チル」の何処が凄いのかというと、マンガとして基本的なことを極めて高いレベルで自然に実現しているところが凄いのだ! ということなんですよね! ハカセ!(←誰?)
□
そしてそれと同時に、「現代マンガ時評」を含む定期更新の終了もアナウンスされました。
ここ最近は明らかに更新するのが辛そうな雰囲気だったので、この決定も致し方ないと思います。
駒木博士のサイトは既に「権威」としての地位を確立していると思うのですが、それ故に「自分の立場を考えて、発言内容にもっと配慮して下さい
」と受講者から言われてしまう程の大きなプレッシャーを駒木さんに与えていた訳であり、その期待に応えるだけの評論活動を行うモチベーションを(趣味の範疇で)これまで保ち続けて来たのは、とても大変なことだったことは想像に難くありません。
今まで本当にご苦労様でした。しばらくの間、ゆっくり休養して下さい。
あと、ぶっちゃけチャット大会の日程が決まりましたらぜひ参加したいと思いますので連絡下さい(笑)。
2006/03/14
■MISTERジパングを読んでいだ時の違和感を思い出した
お久しぶりです(挨拶)。仕事で頭がテンパッていたので更新停止してました。
「ピアノ・ファイア」のいずみのさんが、「椎名高志のコマ割りグセ」というエントリにおいて椎名高志マンガにおけるコマ割り(と、それに伴う問題点)について書かれていたので、それに対して色々考えたことを(あまりまとまってませんが)書いてみます。
特にコマ割りに関しては、椎名高志は極楽大作戦の時代から「1ページのコマを6コマ以上に割らない」というスタイルを通している(大体3~5コマが普通で、6コマに割るのは珍しい)と思うのですが、そのコマ密度の低さに対して、1話あたりのストーリー展開が早いという要素が災いして、しょっちゅう説明不足な場面を生んでます。
ギャグにしろ見せ場にしろ、「オチを出すのが早い」「起承転結の承や転(タメ)が足りない」印象を度々受けました。場面と場面がうまく繋がらなくて、一瞬ワープしているような気にさせる。
んで、この「オチを出すのが早い」「タメが足りない」という現象は、今連載中の『絶対可憐チルドレン』でも良くあるんですよね。おそらく、MISTERジパングの頃についてしまったクセが作者に残ってるんだと思います。話のオチをいきなり出したり、キャラクターの感情が高まりきる前に大ゴマをバーンと出して決め台詞を叫ばせてしまったり。「作者が見せたい結果」だけを脈絡無しに描いているような。
ピアノ・ファイア 「椎名高志のコマ割りグセ」より引用
「MISTERジパング」の頃は、コマ割りについてはあまり気にならなかった(というか、マンガを読んでいてコマ割りを気にすることはなかった)のでそれに関しては何とも言えないのですが、当時リアルタイムで連載を読んでいて「リズムが悪い」と感じることが何度かあったことは記憶しています。キャラクターが自発的に喋っているのではなく、ストーリーに沿うように台詞を喋らされているように読めてしまうが故のノリの悪さというか、そういうタイプの違和感を当時持っていたのは確かです。
それが、いずみのさんが『「作者が見せたい結果」だけを脈絡無しに描いている
』と指摘しているところではないか、と思いました。
ミスジパの時は、椎名氏が自ら「日吉が思うように動かせなかった」みたいなことを完成原稿速報に書いたり(参考:Wayback Machineによるログ)していた時期もあったので、当時は色々と悩んでいた面もあったのではないかと推測しています。
そして現在の「絶対可憐チルドレン」ですが、これまで以上に意図的に大コマを使っていると感じることはよくありますね。基本的には「能力バトル」系のマンガなので、絵的なインパクトを最重要視した演出をしている印象を持っています。
また「絶チル」では、「MISTERジパング」の頃のようなリズムの悪さを感じることは(個人的には)かなり減って来ています。特にコミックス3巻以降に収録されたエピソードでは、読んでいてその手の引っかかりを感じたことはほとんどありません。この頃から個々のキャラクターのパーソナリティが(作者にも読者にも)明確になり、作品そのものにも勢いが出て全体的なノリが良くなったというのもありますが、連載に人気が出て来たおかげで一つのエピソードに話数を費やすことができる余裕が生まれるようになったから、という理由もあるのかなと思っています。
ただ、それでも「本来作者が構想していたストーリーから実際に誌面に落ちるまでの間で、相当プロットを削ぎ落としているんだろうなあ」と感じることは多々あります。前回の「ナショナル・チルドレン」編でも、グリシャム大佐の話芸をギャグとして大コマで見せることを最優先にし、その一方で本来ならストーリーのメインに据えるであろうはずの「過去の彼とおかっぱ少女との思い出のノスタルジー描写」は大胆に削って、『読者が考えて補完してもらう』方向にあえて持って行ってるフシがあります。
こういう省略の仕方ができるのはマンガというメディアの特性であり、椎名氏はそういった記法が許されるマンガの文法を読者が把握し、意図を読み取る能力を持っていることを期待してマンガを作っているのではないか、と思います。ここまで表現すれば後はついて来てくれるだろうという、(良く言えば)読者の知性を信頼したマンガの作り方です。これは、特に近年の椎名マンガで顕著になって来ている傾向だと分析しています。
これは、言い方を変えれば「マンガだから許される表現に頼っている」とも言えますが。「ナショナル・チルドレン」編を原作のテイストを活かしたままアニメ化するのは、結構大変そうだなあと思いました(気が早い)。
あとコマ割りで思い出したのですが、「ラブひな」を読んでいた頃はよく「何故この人(赤松健先生)は、こんなに細かくコマ割りをしてまで1話でストーリーを進めようとしているのだろう。このボリュームだったら2話くらいに分割できそうなのに、もったいないなあ
」とか不遜なことを思っていたのですが、これは自分の頭が椎名高志作品的なコマ割りのリズム(3~5コマ)に慣れているため、赤松健作品のコマ割り(6~8コマが基本?)を「細かい」と認識していたからだったんだろうなと、いずみのさんのエントリを読んで思い至りました。
コマ割りの仕方でマンガの表現方法を観察してみるのも面白いですね。
マンガを読む際の新たな視点を与えてくれて、ありがとうございます。
2006/01/31
■「ネギま!で遊ぶ…エーミッタム!!」を読みました
「エーミッタム」を「エミッターイム」と間違えて記憶!(挨拶)
今更な話題になりますが、執筆陣の豪華さと赤松健先生ロングインタビューが掲載されたことで話題となった「ネギま!で遊ぶ…エーミッタム!!」を、ようやく読むことができました。
この本を読んで個人的に一番印象に残った言葉は、いずみのさんによる赤松健先生へのインタビュー記事における、『ファンが「赤松健論」で行っているようなテーマや作品構造を深読みすることに対して、どう考えているのか?』との質問に対する
「深読みしすぎですよね(笑)
」
という、赤松氏の冗談めかしたような回答でした。
氏はインタビューの中で、「私はソロバンづくでなんでもやってるようにみんな思っているのかもしれませんけど、実際には(原稿を)上げるだけで精一杯
」とわざわざ手の内を明かし、その上で「『実は赤松は裏でこう思ってるんじゃないか』って思ってくれる分には凄く助かるんですよ
」と、作者の思惑以上に深読みをして来る読者に対する謝意を、素直に表しています。
この「ネギま!で遊ぶ」という同人誌は、編者のTaichiroさんが仰っているように「作品をより主体的に楽しむ」面白さをライトなファンに伝えることを目的として作られたものと思われますが、作者の赤松氏自身がこの本に代表されるようなファンの評論活動に対して極めてオープンなスタンスを取っていることは、ファンにとって極めて幸福なことではないかなと思います。
この辺は、パソコン通信の時代から自分のファンと積極的にネットを通じて交流して来た、赤松氏ならではの感覚なのでしょう。
自作への読者の思い入れを「邪魔」や「迷惑」と思わず、逆に読者がそういう行為を行うことに対して感謝の意を表する、作者のゆるやかでオープンな姿勢が、「ネギま」がここまでファンの間で熱心に語られてるようになった理由の一つとして上げられるのではないか――そんなことを感じたインタビュー記事でした。ファンがファン活動をすることで幸せになれるマンガ、それが「ネギま」。そんな感じ。
例え作者自身は毎週毎週原稿を上げるだけで手一杯で、読者が思っている程深いところまで考えてはいないとしても、自分が作った作品世界をファンが各々の解釈で『解読』して行く様子を、赤松氏は楽しんでおられるのかも知れませんね。
この懐の広さ! この貫禄っぷり! さすが大物は違う!
あと寄稿された記事の中では、Fuku Diaryの(福)さんによる「ショタ漫画として読むネギま!」に激しく共感致しました。
そうそう、そうなんですよ。「ネギま」の中で一番可愛いキャラは、絶対ネギ君で決まりなんですよ。「ネギま」が少年の成長物語として成立しているのは、今のネギ君の少年らしい可愛らしさが作品の根幹にあるが故なんですよ! みんな判れ!
特にネギ君の尻の可愛らしさったら、もう! 今度生まれ変わったら千鶴姉さんになって、ネギ君の尻にネギを(←おちつけ)