「エーミッタム」を「エミッターイム」と間違えて記憶!(挨拶)
今更な話題になりますが、執筆陣の豪華さと赤松健先生ロングインタビューが掲載されたことで話題となった「ネギま!で遊ぶ…エーミッタム!!」を、ようやく読むことができました。
この本を読んで個人的に一番印象に残った言葉は、いずみのさんによる赤松健先生へのインタビュー記事における、『ファンが「赤松健論」で行っているようなテーマや作品構造を深読みすることに対して、どう考えているのか?』との質問に対する
「深読みしすぎですよね(笑)
」
という、赤松氏の冗談めかしたような回答でした。
氏はインタビューの中で、「私はソロバンづくでなんでもやってるようにみんな思っているのかもしれませんけど、実際には(原稿を)上げるだけで精一杯
」とわざわざ手の内を明かし、その上で「『実は赤松は裏でこう思ってるんじゃないか』って思ってくれる分には凄く助かるんですよ
」と、作者の思惑以上に深読みをして来る読者に対する謝意を、素直に表しています。
この「ネギま!で遊ぶ」という同人誌は、編者のTaichiroさんが仰っているように「作品をより主体的に楽しむ」面白さをライトなファンに伝えることを目的として作られたものと思われますが、作者の赤松氏自身がこの本に代表されるようなファンの評論活動に対して極めてオープンなスタンスを取っていることは、ファンにとって極めて幸福なことではないかなと思います。
この辺は、パソコン通信の時代から自分のファンと積極的にネットを通じて交流して来た、赤松氏ならではの感覚なのでしょう。
自作への読者の思い入れを「邪魔」や「迷惑」と思わず、逆に読者がそういう行為を行うことに対して感謝の意を表する、作者のゆるやかでオープンな姿勢が、「ネギま」がここまでファンの間で熱心に語られてるようになった理由の一つとして上げられるのではないか――そんなことを感じたインタビュー記事でした。ファンがファン活動をすることで幸せになれるマンガ、それが「ネギま」。そんな感じ。
例え作者自身は毎週毎週原稿を上げるだけで手一杯で、読者が思っている程深いところまで考えてはいないとしても、自分が作った作品世界をファンが各々の解釈で『解読』して行く様子を、赤松氏は楽しんでおられるのかも知れませんね。
この懐の広さ! この貫禄っぷり! さすが大物は違う!
あと寄稿された記事の中では、Fuku Diaryの(福)さんによる「ショタ漫画として読むネギま!」に激しく共感致しました。
そうそう、そうなんですよ。「ネギま」の中で一番可愛いキャラは、絶対ネギ君で決まりなんですよ。「ネギま」が少年の成長物語として成立しているのは、今のネギ君の少年らしい可愛らしさが作品の根幹にあるが故なんですよ! みんな判れ!
特にネギ君の尻の可愛らしさったら、もう! 今度生まれ変わったら千鶴姉さんになって、ネギ君の尻にネギを(←おちつけ)
「作者の言葉には絶対的な力があるから、読者の想像に回答してはいけない。」と確信していましたが…、こういう先生もいるんですね。偉大です。
椎名先生や畑先生も、こう思う所があるんでしょうかね? もしそうなら、嬉しさが増えます…☆
赤松先生に限らず、全ての週刊連載漫画家は「毎週の締め切りに間に合わせるのが精一杯で、先のことなんか全然考えていない」と心の中で思っているに違いないのですが、それをわざわざファンの前で大喜びで公言してしまう、赤松氏の必要以上にフランクな態度はすごいと思いました。さすが大物は違う。
もっとも、赤松氏が読者からの批評を真に受けているかといえばそうでもなく、読者個々の意見は全く気にせず、感想全体から「読者の全体的な傾向」をかなり感覚的に捉えているフシがあります。インタビュー記事には、氏がどうやって読者からフィードバックを得ているのかを喋っているところもあるので、できればその辺も紹介したいなあと思います。
椎名先生の場合、昔原稿速報ページで「読者からの感想は大歓迎。ただ、批評を書かれても参考にはしない」みたいなことを言ってましたね。
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