2006/03/14

■MISTERジパングを読んでいだ時の違和感を思い出した

 お久しぶりです(挨拶)。仕事で頭がテンパッていたので更新停止してました。

 「ピアノ・ファイア」のいずみのさんが、「椎名高志のコマ割りグセ」というエントリにおいて椎名高志マンガにおけるコマ割り(と、それに伴う問題点)について書かれていたので、それに対して色々考えたことを(あまりまとまってませんが)書いてみます。

 特にコマ割りに関しては、椎名高志は極楽大作戦の時代から「1ページのコマを6コマ以上に割らない」というスタイルを通している(大体3~5コマが普通で、6コマに割るのは珍しい)と思うのですが、そのコマ密度の低さに対して、1話あたりのストーリー展開が早いという要素が災いして、しょっちゅう説明不足な場面を生んでます。
 ギャグにしろ見せ場にしろ、「オチを出すのが早い」「起承転結の承や転(タメ)が足りない」印象を度々受けました。場面と場面がうまく繋がらなくて、一瞬ワープしているような気にさせる。

 んで、この「オチを出すのが早い」「タメが足りない」という現象は、今連載中の『絶対可憐チルドレン』でも良くあるんですよね。おそらく、MISTERジパングの頃についてしまったクセが作者に残ってるんだと思います。話のオチをいきなり出したり、キャラクターの感情が高まりきる前に大ゴマをバーンと出して決め台詞を叫ばせてしまったり。「作者が見せたい結果」だけを脈絡無しに描いているような。

ピアノ・ファイア 「椎名高志のコマ割りグセ」より引用

 「MISTERジパング」の頃は、コマ割りについてはあまり気にならなかった(というか、マンガを読んでいてコマ割りを気にすることはなかった)のでそれに関しては何とも言えないのですが、当時リアルタイムで連載を読んでいて「リズムが悪い」と感じることが何度かあったことは記憶しています。キャラクターが自発的に喋っているのではなく、ストーリーに沿うように台詞を喋らされているように読めてしまうが故のノリの悪さというか、そういうタイプの違和感を当時持っていたのは確かです。
 それが、いずみのさんが『「作者が見せたい結果」だけを脈絡無しに描いている』と指摘しているところではないか、と思いました。

 ミスジパの時は、椎名氏が自ら「日吉が思うように動かせなかった」みたいなことを完成原稿速報に書いたり(参考:Wayback Machineによるログ)していた時期もあったので、当時は色々と悩んでいた面もあったのではないかと推測しています。

 そして現在の「絶対可憐チルドレン」ですが、これまで以上に意図的に大コマを使っていると感じることはよくありますね。基本的には「能力バトル」系のマンガなので、絵的なインパクトを最重要視した演出をしている印象を持っています。
 また「絶チル」では、「MISTERジパング」の頃のようなリズムの悪さを感じることは(個人的には)かなり減って来ています。特にコミックス3巻以降に収録されたエピソードでは、読んでいてその手の引っかかりを感じたことはほとんどありません。この頃から個々のキャラクターのパーソナリティが(作者にも読者にも)明確になり、作品そのものにも勢いが出て全体的なノリが良くなったというのもありますが、連載に人気が出て来たおかげで一つのエピソードに話数を費やすことができる余裕が生まれるようになったから、という理由もあるのかなと思っています。

 ただ、それでも「本来作者が構想していたストーリーから実際に誌面に落ちるまでの間で、相当プロットを削ぎ落としているんだろうなあ」と感じることは多々あります。前回の「ナショナル・チルドレン」編でも、グリシャム大佐の話芸をギャグとして大コマで見せることを最優先にし、その一方で本来ならストーリーのメインに据えるであろうはずの「過去の彼とおかっぱ少女との思い出のノスタルジー描写」は大胆に削って、『読者が考えて補完してもらう』方向にあえて持って行ってるフシがあります。
 こういう省略の仕方ができるのはマンガというメディアの特性であり、椎名氏はそういった記法が許されるマンガの文法を読者が把握し、意図を読み取る能力を持っていることを期待してマンガを作っているのではないか、と思います。ここまで表現すれば後はついて来てくれるだろうという、(良く言えば)読者の知性を信頼したマンガの作り方です。これは、特に近年の椎名マンガで顕著になって来ている傾向だと分析しています。
 これは、言い方を変えれば「マンガだから許される表現に頼っている」とも言えますが。「ナショナル・チルドレン」編を原作のテイストを活かしたままアニメ化するのは、結構大変そうだなあと思いました(気が早い)。

 あとコマ割りで思い出したのですが、「ラブひな」を読んでいた頃はよく「何故この人(赤松健先生)は、こんなに細かくコマ割りをしてまで1話でストーリーを進めようとしているのだろう。このボリュームだったら2話くらいに分割できそうなのに、もったいないなあ」とか不遜なことを思っていたのですが、これは自分の頭が椎名高志作品的なコマ割りのリズム(3~5コマ)に慣れているため、赤松健作品のコマ割り(6~8コマが基本?)を「細かい」と認識していたからだったんだろうなと、いずみのさんのエントリを読んで思い至りました。

 コマ割りの仕方でマンガの表現方法を観察してみるのも面白いですね。
 マンガを読む際の新たな視点を与えてくれて、ありがとうございます。

Posted at 21:50 | WriteBacks (4) in マンガ::いろいろ
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トラックバックどうもです

深沢さんからの反応が……! 話を取り上げて頂いてありがとうございます。

>「ナショナル・チルドレン」編を原作のテイストを活かしたままアニメ化するのは、結構大変そうだなあと思いました(気が早い)。

最近の原作付きアニメは、「原作の内容をいかに短く縮めるか」という作業に腐心している所がありますから、むしろスタッフが楽できるかもしれませんよ!(ダメ)

Posted by いずみの at 2006/03/15 (Wed) 02:58:14

赤松健先生

後段の赤松健先生の件、LDさんの「ストーリーの二重化」という記事を思い出しました。

http://www.websphinx.net/manken/labo/clmn/j_nijuka.html

Posted by 1dton at 2006/03/15 (Wed) 06:25:05

[book][comic]漫画の読み方の話

 今日はC-WWWの深沢さんからトラバを頂いた流れで、そのコメント欄でLDさんの漫研のページがリンクされていたので、漫研さんのサイト全体をじっくり読んだりしていました。  LDさんの視点は非常にいいですね、こういう読み方には憧れます。可能ならば教えを請いたいくらいです。  深沢さんの記事の内容に補足しますと、一枚のページ当たりに慣例以上のプロットをねじこもうとする点では、おそらく、椎名高志も赤松健も近いことをやっているのだと思います。  そのオーバープロットの表現を、椎名高志は「結を増やすが、“結以外 ...

Posted by ピアノ・ファイア at 2006/03/15 (Wed) 21:27:21

お返事遅れました

いずみのさん>
こちらこそ、更に反応して頂きありがとうございました。
改めて「絶チル」を意識して読み直してみると、確かに猛烈な勢いで途中のコマを削ぎ落としているのが何となく見えてきて面白かったです。
「ウルトラマンネクサス」やってた頃は『俳句にも似た究極のネーム作り』を強いられたそうですが、その時に培った経験や感覚を「絶チル」にも適応しているのかも。「ネクサス」のストーリーの削ぎ落としっぷりは凄かったからなあ。

絶チルをアニメ化するなら、せっかくなので思い切り少女アニメ方向に振って欲しい自分がいます。
「東京ミュウミュウ」「ぴちぴちピッチ」を継ぐのはオレだ! みたいな勢いで!(そっち路線なの?)

1dtonさん>
LDさんがこんな考察を! 情報ありがとうございます。
赤松マンガの異常な濃度は、「ストーリーの二重化」という言葉で既に作者自らが語っていたんですねー

Posted by fukazawa at 2006/03/25 (Sat) 11:58:15
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