突然ですが、「ネギま!」なら誰?(挨拶)
私は朝倉和美さんがお気に入りです。雑多な人間関係が入り乱れる学園生活の中で、独自の客観的な視点を保ちながらも積極的にクラスの中で立ち振る舞うことができる彼女のスタイルは、不器用だった学生時代の私が憧れていた生き方に近いものがあります。同様の理由で、「マリみて」の蔦子さんも好きですね。
まあ勿論、嫁にするなら本屋ちゃんで決まりな訳ですが!
そんな感じで(?)、先週発売された「魔法先生ネギま!」の6巻が異様に面白いです。
「お嬢様とボディーガード」の立場から大きく変化し始める木乃香と刹那の関係を物語の軸に据えた上で、ノンストップかつ高密度で繰り広げられるアクションシーンの数々やら、ネギ達の窮地を察して次々と駆けつけるクラスメート達の大活躍っぷりやら、強力なライバルに対して知恵と勇気で乗り越えようと頑張るネギ少年の雄志やら、凝りに凝った魔法や呪術の描写やら(特にクライマックスにおけるエヴァンジェリンは圧巻)と、最初から最後まで盛りだくさんの内容で心底楽しめました。
私は通勤電車の中で読んでいたのですが、あまりに集中し過ぎて思わず乗り過ごすところでした(バカ)。
勿論、これは赤松健先生のマンガなので、おっぱいぽいんとか風呂場でぽいんとかパンストでガン=カタとかそういうサービスシーンも過剰ですし、基本的にやってることはこの手のドラマのお約束に沿ったものなので物語的な目新しさは薄く、別にこれを読んだからといっても頭が良くなるとか人生にとってプラスになるとかそういう要素もあまりないんですけど、でも徹底的にエンターテイメントに徹した作品の作り方には好感が持てます。読んでるだけで楽しく、かつ元気になれる作品であることは確かです。
あと、要所要所で魔法や呪術の解説を入れ、ソッチ方面への知識欲をかき立てる誌面構成も上手いなと思いました。このマンガのメインターゲットである現役のオタクな中高生男子は、マンガの中に出てくる女の子と同じくらい、オカルトっぽいネタが大好きですからね!
つうか、もし私が現役の中学生や高校生だったら、このマンガに心底惚れ込んでいたんじゃないかと思います! あぶないあぶない!(手遅れ?)
それにしても、赤松氏は「ラブひな」の頃と比べても、エンターテナーとしての実力が遙かに上がっているような気がします。正直、「ラブひな」が一番面白かったのは4~7巻くらいまでだったんですけど(笑)、「ネギま」は面白さに底が見えません。なんか来年辺りにアニメになるとかいう噂も聞きますし、まだまだ楽しめそう。
この調子で行けば、CLAMP大先生に比類する(あるいは凌駕する?)メディアミックス作家として大成する日も、そう遠いことではないでしょう。そういう意味でもこのマンガには期待してます。
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そして赤松健先生といえば久米田康治先生なんですけど、いくつかのブログで『「かってに改蔵」が次巻で打ち切りになる
』みたいなコメントを見かけたので、ちょっと不思議に思ってコミックス25巻を確認してみたところ、表紙カバーの折り返し部分には確かに「次号『かってに改蔵』最終巻は…
」なんて一文が。あー
それを踏まえてコミックス25巻の作者コメント「今巻の反省文」を読み直してみると、まあ確かにいつにも増してネガティブな雰囲気な文章書かれてますね先生。このコメントを真に受けた読者から心配されるのも判るような気がします。
こんなに心配してもらえるなんて、ホント先生はみんなから愛されてるなと思います。
ただ私の場合、ネットでもコミックスでもやたらネガティブかつ自虐的なコメントを出すのが久米田先生の芸風だと認識しているので、今回の反省文を読み、『最終巻』という単語を見ても、「今回はいつにも増して先生が絶好調だなあ!
」とか思いつつニヤニヤしてしまいましたが(ダメ)。『最終巻』という言葉も先生のいつものネタの一環なんじゃないかと思って軽く流してしまうような、そんな心境です。
個人的には、「改蔵」ってのは本来そういうスタンスで楽しむべきマンガでは? という認識なのですが、でもそれは私がどっか人として大切な何かを間違えてしまっているからなのか。
でも、もし仮に次巻で最終回となると、実質的にあと1~2話程度で連載を終わらせてしまわないといけない計算になるのですが、その程度の話数でこのマンガの物語を収束することは、果たして可能なのでしょうか。
ああ、なんか「かってに改蔵」を読むのが怖い。「からくりサーカス」で怖がってる場合じゃなくなって来ました。
blog にコメントをつけるのは初めてですよ。何かやりそこなってたりしたら申し訳ない!
>「からくりサーカス」で怖がってる場合じゃなくなって来ました。
…えー、飛ばし読みなのであんまりはっきりしたことはわかりませんが、今週の「からくりサーカス」には以前の深沢さんの
>富士鷹先生はおっかねぇなぁ!(注:富士鷹先生と藤田先生は別人物です)
という評がそのまま藤田先生に当てはまるような見開きがありませんでしたか?小さい子が見たらまさしくトラウマになりそうな恐ろしい絵が!!
長らく続いた「からくり」もいよいよ最終シリーズを迎えるということで、久々に継続しておっかけるマンガに入れてみようかなという気にさせられましたです。
………ところで、赤松健のマンガを「エンターテインメント」と呼ぶのは、「エンターテインメント」という言葉に対する冒涜ではないでしょうか(笑)。
赤松と久米田、確かにこの二人は
「漫画描くのって綺麗事だけじゃないんだなあ」
というのを光と影、もしくは闇で理解させてくれる素敵な作家だと思います。
エンターテイメント追求という観点から見ると
藤田氏と赤松氏が光と影という感じがしてくるのもまた不思議です。
「僕は子供にこんな漫画を読んで欲しい、僕だったら読みたかった漫画。」
を追求する藤田氏。
「必要な事は受ける漫画、それだけだ。オマエラが望むのはコレだろ!?」
を追求する赤松氏。
それぞれに凄みがありますね。
先日、結婚して家を出た私の姉が子供を連れて遊びに来たのですが、姉は何故か私の部屋の本棚にあった赤松健先生の「AIが止まらない!」を延々と読み続けていました。
姉に何があったのか。
>井汲さん
今度逢った時には、「ネギま!」のネギ君のかわいらしさについて延々と語ってさしあげます!(迷惑)
「からくり」はついにラストスパートに入りました。藤田先生のエンターテナーとしての実力はこれまでの実績が証明してますので、安心して氏の繰り出す恐怖と戦慄の世界を堪能することができると思います。
残酷な物語を描いた上で感動を与える、という凄く矛盾したことをやってのける藤田氏は凄いです。
>とらびのさん
赤松氏と久米田氏は、例えば同じ『美少女わんさかコメディー』という題材を扱ったとしても、そこから「題材が持つ面白さ」を引き出す手法がまるで正反対な印象があります。
文字通り真っ正面から美少女キャラをこれでもかと言わんばかりに投入する正攻法の赤松氏と、その愚直な攻め方やそれにノセられて喜ぶファン達を斜め上の角度から観察し、おもしろおかしく描く久米田氏。どちらも『美少女わんさかコメディー』を描いている意味においては一緒なのですが、その手法上、久米田氏の方がどうしても闇の側になってしまうのは致し方ないところではあります。
ただ、コアなサンデー読者にとっては久米田氏のスタンスの方がしっくり来るっぽいのも確かです。だからサンデーは発行部数がマガジンの半分以下なんだと思います。
あと、エンターテイメントに対する藤田氏と赤松氏のスタンスの対比は興味深いですね。参考になります。
個人的には、綿密な物語を織り上げているように見える藤田氏は、割と後先考えずに自分の求めるエンターテイメントを重視する方向でストーリーを作っており、逆にライトコメディに徹する赤松氏は、自分の作品の読者の嗜好を正確に把握した上で、相当計算高くストーリーやキャラクターを作っているような気がします。
どちらの作家も「凄い」のですが、凄いの意味が全然違うのが面白いところ。
> 今度逢った時には、「ネギま!」のネギ君のかわいらしさについて
>延々と語ってさしあげます!(迷惑)
それはノーサンキューです(笑)。
>赤松氏は、自分の作品の読者の嗜好を正確に把握した上で、相当計
>算高くストーリーやキャラクターを作っているような気がします。
奴は読者を見下す立場に立って、大量飼育している家畜に飼料を与えるがごときやり方で作品を生産しているわけですが、「自己の創作意欲と読者の欲求を両立すべく研鑚を重ね、内容も優れたものになった作品」と「読者に媚びて、その願望に安直に形を与えただけのもの」は違う。若桜木虔みたいな人もいるし、そういう創作活動で糊口をしのぐやり口も否定はしませんが、「マンガ」というジャンルに愛着を持って優れた作品との出会いを楽しみにしている立場から言えば、奴はまっずーいインスタント食品のような代物を大量生産してふんぞり返っているような輩であって、他のマンガ家と同列に扱うに値しません。
あと奴のマンガで見苦しくてかなわないのは、女性観が余りに貧困で類型的すぎる、という点です。もちろん少年誌に掲載されるマンガなら大なり小なりそういう傾向はあるものですが、奴の場合は工業製品のカタログよろしく「都合よく振る舞う、人格を切り捨られたモノ」を陳列する、という方向性が徹底していて、ピンク産業とどこも変わらない。本質はピンク産業であるにもかかわらず、そうでないかの風を装って「営業」している分、本物のピンク産業よりタチが悪いです。
前回私は「冒涜」という言葉を使いましたが、もっと軽い言葉、「かわいそう」というレベルで十分なんですよ。例えば私はこれまでマンガというエンターテインメントには大変お世話になってきたので、赤松のごとき代物を「エンターテインメント」と呼んだりしたら、「エンターテインメント」という言葉がかわいそうだ、と思うんですが、そのくらいの感覚でもう十分。「エンターテインメント」という言葉は、せめてもうちょっとましなものの形容に使ってあげたいものです。
>それぞれに凄みがありますね。
「凄い」のは確かですが、それはマンガ界に撒き散らす害毒についての「凄さ」ですね。奴はもう一生食うに困らないくらいは稼いだでしょうから、これ以上の害悪を垂れ流す前に、とっとと引退してこの業界から消え去ってほしいものです(あるいは、キャリアを継続するなら18禁の世界でやってくれんもんかなあ)。
困ったことに「ネギま」もアニメ化が決まっているようですが、一回でも早く打ち切られ、世間から忘れ去られる日が訪れることを、心の底から願わずにはいられません。
まあ、とりあえず、井汲さんは赤松健が大嫌いだということはよく判りました。
なんか赤松健という作家は、井汲さんの中では忌み嫌うべき完璧な「仮想敵」になってしまっているみたいですね。
で、赤松健氏の作品の是非はともかく、一応サイトの管理者として、「要らぬトラブルを引き起こす可能性がある、必要以上に攻撃的な口調の書き込みはご遠慮下さい」とお願いしておきます。
私の書き込みに対するコメントならともかく、それとは無関係な赤松氏に対する攻撃をこのサイトで行うのはご勘弁を。
それは大変失礼しました。
という訳で、私の赤松評に対して何かコメントなさりたい方は、深沢さんの方に迷惑をかけぬよう、私の方まで直接お願いします。
>まあ、とりあえず、井汲さんは赤松健が大嫌いだということはよく判りました。
「好きか嫌いか」で聞かれたら間違いなく嫌いですが、それは大して重要な点ではないです。単なる好き嫌いとは次元の違う話である点に注意を喚起しておきます。
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