「封建社会の完成形は、
」
少数の祥子さまと多数の祐巳によって構成されるのだ
そんな感じで、「シグルイ」と「マリア様がみてる」を無理矢理コラボレートする遊びがマイブームな私ですがどうですか(いきなり)。
「シグルイ」と「マリみて」は全然関連性がないように思われますが、実は双方の作品には「上下関係が厳格に定められた、極めて封建的な世界を作品の舞台にしている」「ほとんど全ての登場人物が『体制の維持こそが絶対である』という思想に支配されている」「体制維持のための象徴的な儀式がある」などの共通点があります。
つまり、どちらも極度に保守的・封建的な社会システムが作品の根幹をなしている、ということができるのです。
「シグルイ」とは、『真剣御前試合』を象徴に完成された封建制度の狂気の中で必死で生き抜こうとする侍達の生き様を描いた凄惨なドラマでありますが、「マリみて」もまた「ロザリオの授受」を象徴とした『姉妹の契り』という完成された封建制度の狂気の中で必死で生き抜こうとする少女達の生き様を描いた学園コメディである! と表現することができるのです。多分。
「入学した時から嫌というほど見てきた。
」
姉の仰せとあらば、意志をなくした傀儡(くぐつ)となる妹たち
「シグルイ」の2巻では、藤木源之助と伊良子清玄の両名による虎眼流の跡目争いが混迷の度を深める様子が描かれていますが、「マリみて」も現在は松平瞳子と細川可南子による祐巳さまの妹の座を巡る争いが激化しつつあります。
家康を輩出し、江戸幕府の封建制度を支えた松平家と、遠く足利時代に室町幕府の管領として権力を振るった細川家。奇しくも日本の封建時代を代表する名門の名字を冠された二人は、姉妹システムという名の封建制度の中で「祐巳さまの妹」「山百合会幹部」という、システム内での絶対権力の地位を目指して争う人物のネーミングとしては最適なのではないのでしょうか。
リリアン女学園における絶対権力者である小笠原祥子とも関係があり、生まれながらにシステムに馴染んできた生粋のお嬢様である瞳子か、あるいはシステムをも超越しかねない勢いで暴走する突進力を持った可南子か。いずれは冒頭に出てきた『真剣御前試合』に繋がるであろう「シグルイ」の今後の展開も気になりますが、「マリみて」の今後も同じように気になります。アニメ版の再開も楽しみです。
不屈の精神を持った乙女は、己に与えられた過酷な運命こそ、かえってその若い闘魂を揺さぶるものなのです。多分。
「細川可南子は妹(スール)ではない。
」
もっとおぞましい何かだ
□
…「シグルイ」2巻の感想を簡単に書こうとしたつもりだったのですが、どうしてこんな文章に?
今ちょっと風邪引いて熱が出てるせいにしていいですか?(と言われても)
とにかく「シグルイ」は面白いです。封建制度というシステムが内包している狂気を題材にした、まさに残酷無惨な時代劇コミックの傑作。作者の山口貴由氏は圧倒的に緻密な肉体描写と独特の言語センスで一世を風靡した「覚悟のススメ」で有名ですが、「シグルイ」は「覚悟」以上に氏の才能が冴え渡っていると思います。「シグルイ」は、間違いなく山口貴由氏以外には絶対に描くことができない、独特の魅力を持った作品です。
まあ、「覚悟のススメ」のファンの中で「シグルイ」を読んでいない人がいるとはとても思えないので今更なのですが、どうしても何か読んだ感想を書きたくてこんなエントリを起こしてしまいました。やっぱり、ちょっと熱に浮かされているのかも。
椎名高志ファンホームページへようこそ(挨拶)。
「シグルイ」はチャンピオンREDを支えているのは確実ですね。
私は作業に行き詰まったときに「蛮勇引力」の単行本の巻頭の
口上を読むと力が湧いてきます。
>コラボネタ
神鳴流にては他流の者倒すことまかりまらぬ
伊達にして帰すべし
マンガ家として十数年を迎える山口貴由の、しかしこれはキャリアの極点となりうる作品かもしれない。1巻のテンションは衰えるどころかますます加速度を増し、一コマ一コマに得体の知れない奇想と恍惚美が充溢しまく ...
このエントリが有名ニュースサイトであるところの「朝目新聞」さんや「好き好き大好きっ」さんなどで紹介され、アクセス数がちょっと凄いことになってます。うわーい。
みんな狂った世界が舞台の作品が大好きなんですね。僕も大好きです。
胸筋さん>
正気にては校了ならず! 原稿はシグルイなり! みたいな!(どんなだ)
夏コミ本の制作がんばって下さい。
シグルイ2巻の後書きを読むと、山口先生はホント「葉隠」が好きなんだなと思わされます。
というか、氏の作品や生き方そのものが「葉隠」を目指しているのか。覚悟を持って大業に望む人は、心得からして違います。
>神鳴流にては他流の者倒すことまかりまらぬ
>伊達にして帰すべし
それであんなに服を脱がす技が多いのか神鳴流! 「伊達」の意味が違う!
かかる者の姿(=全裸)は「神鳴流強し」を世に知らしめ、道場の名声を高むるに至るなり!
納得!
writeback message: このサイトのコメント受付は終了しました。