今日は、「新海」という単語から真っ先に「物語」を連想する人には縁がない話をします!(挨拶)
そんな訳で、新海誠監督作品の新作アニメ映画「雲のむこう、約束の場所」を渋谷で見てきました。
せっかくなので感想みたいなものを少し。
新海アニメは「観る人は絶対観るけど、観ない人は絶対に観ない」タイプの作品だと思われるので、以下は「雲のむこう~」が判る人向けです。
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で、この映画の基本的なストーリーは、北海道と本州が違う国家に分断された世界を舞台に、北海道に建設された謎の「塔」に憧れていつか自分達が作った飛行機でそこへ行こう
という夢を持った少年・ヒロキとタクヤ、そして彼らと一緒に「塔」へ飛ぶ約束をした少女・サユリを巡って展開される訳なのですが、でも少年達が「塔」へ憧れを抱く心境から私が連想してしまったのが、何故か「Webやぎの目」で有名な林雄司さんのガスタンクファンサイト「ガスタンク2001」の、以下のフレーズでした。
(1999.8.9のガスコラムより引用)
富士山の写真を撮りつづけている人、というのを新聞やテレビでよく見る。
たいていは富士山が見える場所に育った人だ。富士山が好きなんだろう。
僕がガスタンクを撮るのも同じ構造だと思う。ガスタンクの近くで育って、ガスタンクの写真を撮りつづける。
富士山だといい話で、ガスタンクだと「トラウマ」という語を連想するのはなぜだ。
この映画の主人公達は、巨大で謎めいた「塔」が近くに立っている街で多感な時期を過ごしたためにその後の人生でも「塔」から大きな影響を受けることになるのですが、これは「ガスタンク2001」の上記のコラムと、感覚的には似たようなものなのではないのでしょうか。
つまり「雲のむこう、約束の場所」とはこの文章の「ガスタンク」を「塔」に置き換えたような話であり、「塔」は彼らにとっての憧れであるのと同時に幼少期のトラウマの象徴になっているのではないか? いつか自分の飛行機で「塔」に行きたいという彼らの夢は、ガスタンクマニアがガスタンクの写真を撮るのと同じような感情から湧き上がったものなのではないのか?
――とかバカなことを一度思いついてしまったが最後、映画が終わるまで「塔」が出てくる度に「あれはガスタンクのメタファー
」という考えが浮かんでしまい、せっかくの美しい話に没入することがなかなかできませんでした。
林雄司さんの書く文章は本当に面白いですよね(まちがい)。
「雲のむこう、約束の場所」という映画は、新海誠氏の作品に漂う独特の詩情的な空気を感じ、美しく描かれた作品世界へ憧憬を抱き、主人公の感情に共感することで感動を得るタイプの作品だと思われます。ぶっちゃけて言えば、「この感じよく判るよ! スゲエよく判る!
」とか言いながら作品と共鳴して己の感性をブルブル震わせるために見るための作品です。
この映画の場合は、主人公のヒロキのように、過去に夢中になっていたことがある(かつ、それが普通の人にはなかなか"判ってもらえない"ものである)経験を持っている方なら、存分に震えることができるんじゃないかと思います。そういう意味では、「耳をすませば」と系統が似ている作品と言えるかも。
「耳すま」と「ほしのこえ」の両方を愛することができる感性の持ち主なら、「雲のむこう」も震えながら鑑賞できるのではないのでしょうか。
なので、鑑賞する際には「ガスタンク」とかそういう余計な感性は震わせない方が、より素直に楽しめるのではないかと思います。
オレにも、ヒロキ君と同じような真っ直ぐな感情を持っていた時期があったはずなのにな…(夕焼けを見ながら)
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あとこの映画のアニメ的な見所としては、アニメでしか表現できない絶妙な色合いの「空」の風景に代表される背景美術の美しさや、妙にかっこいい独特のフォルムを持つ飛行機(ヴェラシーラ)の飛翔シーンの格好良さなどが上げられると思うのですが、個人的に最高にグッと来たのは、何と言ってもヒロインのサユリが映画の中で随所に見せる女の子走りの素晴らしさでした。
拳を軽く握りつつ肘を内側に寄せた状態で前後に小さく振る、この年代の女の子特有の仕草でブリブリ駆け回りながら息を弾ませるサユリのモーションは、彼女が「女の子」であることを完璧なまでに表現していると思います。
アニメたるもの、キャラクターの性格はアニメーションで「演技」をさせる形で表現しなければならない! と思っている私にとって、「雲のむこう、約束の場所」におけるサユリの女の子走りは、彼女が如何に純真で可憐な少女であるのかを雄弁に語っていると感じました。
憧れの女の子にこんな走り方された上で「あの塔に連れて行って
」とか言われたら、そりゃもう少年の心はメロメロになるに決まってます。
更にサユリはその後、この映画の鍵を握る「塔」と深く関わる存在となり、最終的にはサユリの自意識が持つ価値が世界そのものの価値と等しくなるという、いわゆるセカイ系的な展開を見せることになります。
こういう展開に説得力を持たせるためには、「この少女は世界を秤にかけるだけの価値がある、かけがえのない存在である」ことを視聴者に納得させる必要があるのですが、「雲のむこう、約束の場所」の場合はそれを(女の子走りに象徴される)彼女の愛らしさを全面に押し出すことで、彼女をかけがえのない存在であることを実感させることに成功していると思いました。
彼女を見ている時に湧き上がる感情を一言で表現するなら「萌え」ということになのですが、でもこれはただの萌えではない! あれは彼女が作品世界の中心であることを証明するためのハイブロウな萌えなのだ! と力説していきたい(誰に?)。
なので、この映画の主人公のようなイケてる理工系男子をゲットして、アタシもセカイ系のヒロインになりたいワ! と思っている世のあまねく女子中高生は、まずはサユリの女の子走りをマスターして頂きたいと思いました。彼氏と叶えられない約束をするのは、それからでも遅くはありません。
感想は以上です。(←素直に「この映画面白い」と簡潔に言えない性格ですみません)
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