2004/06/03
2004/06/02
ほんとうにスク水がお好きなんですね(感想)
とかそんな事を書いてるうちに、椎名先生のサイトに近況報告がアップされていました。
次の「アッパーズ」にイラストが掲載されるという報告もファンとしてはありがたい情報ですけど、やっぱり「絶対可憐チルドレン」の連載が本決まりになったってのが何より嬉しいです。先生の文面からは相当の自信が伺えますし、かなり期待して良さそうな雰囲気。
掲載誌に関しては含みを持たせていますが、一番可能性があるのはやっぱり週刊少年サンデーでしょうか。サンデーでは今週号から4回連続で読みきりマンガが掲載されることになっているので(「最後通牒」さんの5/30の情報より)、新連載攻勢が始まるとするなら、それが終わった7月からということに。そして「絶対可憐」の第三話の扉絵は水着なので、おそらくこの話が掲載されるのは真夏の時期になるはず。そう考えれば、一応辻褄は合います。
でも、もしこれで掲載誌がマガジンだったら凄いです。週刊漫画サンデーだったら面白過ぎます(考えすぎ)。
ただ、なんか以前と比べると、微妙に先生の書く文章のフレーバーが変わっているというか、先生自身のキャラが少し変わっているような気がしないでもないところが、やや気掛かりではありますが。何というか、ちょっと自虐と開き直りが過ぎると思います先生。そういうのは、我々のような年季の入ったダメな読者だけで十分です。
「Time Slipping Beauty」から半年。いったい何があったんでしょうか。
色々な意味でドキドキしながら、続報を待ちたいと思います。
近況報告040601
スピンちゃん…(⊃Д`)
「スピンちゃん」は決してマンガの出来が悪かった訳ではなく、単にジャンプシステムのローテーションの一番悪いタイミングにブチ当たってしまっただけなんだ! と思いたい今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。あなたの心の中の理想の上司ランキングでは、「デスノート」の夜神局長が一躍トップに躍り出ていませんか?
私はむしろ、「ゲドー」のはっちゃけぶりに驚いてます。あのマンガ、やっぱり明らかにどっか何かがヘンだと思った。
□
それはともかく、私の本職の仕事の方が、かなりいい感じでヤバい感じになって来ました(矛盾)。ちょっと今月は冗談抜きで忙しくなりそうで怖いです。本来なら忙しくなるのは8月以降のはずだったのですが、色々あってこんなことになってしまいましたよ。
大人の世界…(遠い目)
で、いつもなら「忙しいので今月が更新遅れます~(^^)/
」とか腑抜けたことを書くところなのですが、今回はあえてその忙しさに反逆してみたい。むしろここに書き込むペースを上げてやる! とか思ってます。
どうも自分には、(趣味にしろ仕事にしろ)テキストを書くのにかかる時間が必要以上に長くなってしまうクセがあるっぽいんですけど、でもこれからあと30年くらいは今のような時間に窮屈な生活を送ることになりそうなので、この機会に短い時間で簡潔なテキストを書く訓練をしてみよう、と考えてます。
とりあえず、今月はできるだけ日次ペースでここに何かを書いていけるようにしてみたい。そんな気分です。
いやその、決して今の仕事がイヤなのでここでストレスを解消したいとか、そういうんじゃないですよ? よ?(不必要な連呼)
ただ、処理に一定の時間がかかること(投稿作品の掲載や「展開予想」のメンテ作業など)に関しては遅れ気味になってしまうのは確実なので、その点はご了承をお願いします。
あと今月は、長年の懸案事項である「展開予想ショー」(通称GTY)の新システムの叩き台の作成に着手したいとも思ってます。
現状の「展開予想」に関しては色々と思うところもあるのですが、それに関してはまだいずれ時間がある時に。時間がないので困っているのですが(ダメだ)。
2004/05/28
石版魔物編終結記念・サンデー26号感想
- 「その2mのパット、OKだ!」(ダンドーネクストジェネレーション)
- 今週の「俺様は?」
- 「これを眼鏡好きにしたい相手にやらせてください」(うえきの法則)
- 「そうか! その手があったんだ!」(美鳥の日々)
- シルベストリ戦決着(からくりサーカス)
- 番外:援竜(D-LIVE!)
□
1. 「その2mのパット、OKだ!」(ダンドーネクストジェネレーション)
最初に読んだときは何がOKなのか全然判りませんでしたが、拓さんがOKと言っているからにはとにかくOKなのだろう! 拓さんはすごいなぁ! と一方的に納得させられるだけの説得力が、このコマにはありました。ダンドーがメロメロになるのも納得の迫力です。
指を「グワシ!
」の形で突きだし、ニヤリと笑いながら「OKだ!」。私も拓さんを見習い、人生の重要な局面でこのポーズと台詞をぜひ使っていきたい。いつか私もダンドーのような少年をメロメロにしたい。OKだ(何が)。
あと、なにげにムクムク王子がダンドーに愛を告白しているのもポイント高いです。
ようやく面白くなって来た感じですよBJ先生! さすがはアニメ化のお金でフェラーリを買ったBJ先生は違う!(嫌がらせか)
2. 今週の「俺様は?」
もう一般的なマンガ作法のセオリーから遠く離れたところに行ってしまったこのマンガですが、でも個人的にはここ最近の「俺様は?」が面白くてたまりません。このマンガの現在の面白さはもはや理屈じゃ説明できないですが、ギャグマンガとしてはこの作品の今の形は圧倒的に正しいと思います。
今の大進撃の原動力となったのは、どうやら「ダイナマ伊藤!」のような小学生が出てきてからっぽいです。やっぱり、作者が動かし慣れてる(+読者も読み慣れてる)キャラだから?
3. 「これを眼鏡好きにしたい相手にやらせてください」(うえきの法則)
「うえきの法則」の根幹を形成している能力システムは、基本的に「能力者は『~を~に変える力(才)』を持つ
」「その能力を発動させるためにクリアしなければならない限定条件が存在する
」の二つで成り立っていますが、森さんの能力はそのシステムの有効性を極限までギャグの方向に突き詰めたものであると言うことができます。
「相手を眼鏡好きにする」能力もギャグなら、相手にブリッ子ポーズを取らせる発動条件もギャグ。今回は対戦相手がクールな理系眼鏡君なだけに、キーである「眼鏡」を巡る攻防が非常に熱いです。先週までの佐野君の熱血バトルが台無しになるくらいの面白さです。しかも、ちゃんとこのマンガの能力システムの枠の中でギャグを成立させているというのも素晴らしいところ。
森さんの「相手を眼鏡好きにする」能力が最初に出てきた時はどうなることかと思いましたが、ちゃんと活用方法を考えていたんですね先生!(エラそう)
残された問題は、当の森さんが眼鏡に対する愛情を持っていないということでしょうか。彼女も広義の「眼鏡っ娘」に当てはまるはずなのに、肝心の眼鏡を脅迫の道具にするだなんて、あんまりだとは思いませんか! 眼鏡キャラにとって眼鏡とは単なる視力矯正装置ではなく、そのキャラクターの性格を表現している体の一部である、ということを忘れてしまっては困ります! 眼鏡は道具じゃない! 愛なんだ!
今回の対戦相手のようなクールな理系眼鏡君にとって、眼鏡を自ら外すこととは、いったい何を意味しているのか。眼鏡君にとって、眼鏡とはいったい何なのか。それを理解しなければ、森さんの真の勝利はおぼつきません(断定)。彼女はまず「私の…メガネ君」辺りを読んで、眼鏡に対する愛を知って頂きたい。
4. 「そうか! その手があったんだ!」(美鳥の日々)
ついに耕太が自分のかわいらしさを自覚してしまったー!(挨拶)
皆さんご存じの通り、最近のこのマンガはいわゆる「まとめ」に入っています。美鳥と関わった登場人物達がそれぞれ自分が幸せになる道を見つけ、その道を歩み始めるきっかけを描いているのが、最近の「美鳥の日々」の特徴であると言えます。「美鳥の日々」における耕太シナリオも、いよいよ佳境に差し掛かったと判断して良いのではないのでしょうか。
今の耕太君における「幸せになる道」とは、美鳥が元の人間の体に戻って普通の幸せを取り戻すことであると定義できますが、でもその「普通の幸せ」を取り戻すために彼が選択した手段が、よりによって「自分が女装して沢村を籠絡する」というアブノーマル極まりないものであるってのが、何だか彼にとっては気の毒というか何というか。
ここ最近のストーリーの流れからすれば、今回のエピソードが耕太君にとって美鳥(とセイジ)を取り戻すための最後のチャンスになる可能性が極めて高いです。ある意味で「美鳥の日々」という作品の面白さを支えた立役者である耕太君が文字通り体を張って挑む最期の戦いを、我々はただ静かに見守るのみであります。がんばれ耕太! 負けるな美鳥!
でもまぁ、実際耕太君は連載当初と比べると本当に強くなりました。その気にさえなれば、今の彼には数多くの人生の選択肢が存在しているということに、彼自身が気付いてくれれば良いのですが。
5. シルベストリ戦決着(からくりサーカス)
このサイトでは「黒賀三姉妹フラグ立て編」と茶化して紹介してきた「からくりサーカス
」ですが、ついにここに来てよりテーマらしいものを出してきた感じがします。
今回のエピソードにおいてシルベストリが提示した「人は何故、他の人達と手を繋ごうとするのか?
」という命題は、ある意味人類がこれまで築いてきた文化の存在意義を問いかける究極の質問であると思うのですが、マサルはそれに対する回答を「戦い」の場の中で態度で示し、見事シルベストリを撃破することに成功しました。
少年マンガという制約が多い表現媒体の中で、これほどまでに明確でまっすぐなメッセージを作品の中で読者に伝えることができる、藤田和日郎先生の漫画家としての力量を感じさせるエピソードでした。
――そんな感じで「からくり」で感動した後、今月のサンデーGXに掲載されていた「吼えろペン」を読みました。藤田和日郎先生ではなく富士鷹ジュビロ大先生が大暴れしているアレです。
『世界中の子供たちに愛と勇気をね!
』
与えてあげる前提で――まず怖がらせるだけ怖がらせてあげちゃうよーん!
一生残る恐怖と衝撃で、一生残る愛と勇気をね!
一生残る恐怖と衝撃! 先生! それはトラウマと言いませんか!
まっすぐなメッセージを伝えるのはあくまで手段! 先生の本当の目的は、あくまで読者にトラウマを植え付けることなのか!
富士鷹先生はおっかねぇなぁ!(注:富士鷹先生と藤田先生は別人物です)
番外:援竜(D-LIVE!)
この前のボスザルのベン君も大概でしたが、今度はよりによって援竜ですよ援竜!
援竜みたいなロボはロボットアニメに慣れ親しんだ日本でないとまず開発されないメカだと思いますが、そんなロボが戦乱渦巻く中東に投入された、という設定そのものが超燃えです。ぶっちゃけ、自衛隊を派遣するよりも援竜を派遣した方が、「日本が国際貢献をしている
」という印象を世界に与えられると思います。日本はアニメの国ですからね!
更に今回の「D-LIVE!」では、援竜たった一体で中東で乱暴狼藉を働く英米に対抗するという展開になりそうであり、それはそれで激しく燃えです。自衛隊のイラク派遣の意義が取りざたされている今、今日本という国が中東でするべき本当の「貢献」とは何なのかを、「D-LIVE!」は我々に問いかけているのではないか。そんな気がするのであります。
私が思うに、日本はイラクで「アニメイト」や「ゲーマーズ」の支店を開店するべきだと思います。日本はアニメの国ですからね!(しつこい)
2004/05/26
すっかりジャンプの思うツボ報告
「武装錬金」は今期連載打ち切りの危機を乗り切ったそうだ、という噂がネットを駆け巡っている今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?(挨拶)
やっぱり蝶野でしょうか。コミックス2巻で存分に蝶サイコーな変態ぶりを世間に見せつけ、その後の連載の中でも蝶のマスクと黒パンツの美しい姿で何度も読者を悩殺した蝶野の勇姿こそが、この作品を窮地から救い出したと判断して良いのでしょうか。
つまりジャンプの読者は、この作品に対して凛々しく美しい斗貴子さんではなく、蝶野のような変態の方を強く求めていたということになるのか。みんな不健全だなぁ(蝶野の下半身のコスチュームを見つめながら)。
しかし、「武装錬金」が雑誌内での地位を回復して掲載位置が中盤で安定して来たのは嬉しいことなのですけど、こうなってしまうと逆に「もうすぐ打ち切られちゃう!
」みたいな危機感が薄まって来るので、読んでいてもせっぱ詰まった感覚というか、「今のうちに楽しんでおかなくては!」という背徳的な衝動みたいなものがなくなって来てしまって、ちょっと物足りなく思えてくるのは何故なのでしょうか。
特に「武装錬金」の場合は、連載初期からアンケート不人気の噂が囁かれていただけに尚更です。私にとって「武装錬金」とは、マンガとして面白いんだけど常にアンケート人気に不安を抱えていなければいけない、アンビバレンツな存在になってしまっている様なのです。
こう考えてしまうのは、やっぱり私のワガママなのか?(やっかいだ)
もしかしたら、週刊連載マンガの楽しさの中には、「好きな作品がいつ打ち切られるか判らない」という刹那的な儚さや脆さまでもが織り込まれているのではないのだろうか。そして、そんな読者の危機感を演出するのも、また雑誌編集者の仕事のうちなのではないのだろうか? 私は、ジャンプ編集部の思うツボにハマってしまったのではないか? と、余計なことまで考え始めてしまう始末です。
何とかして下さい。
とか言ってるうちに、今度は「ゲドー」と「スピンちゃん」が何だか思わせぶりな展開に! ネットでの噂通り、この二本も打ち切り候補の中に入ってしまっているのか! どっちも好きなマンガだから、アンケートを出さなきゃ! 実名で! 実年齢で!
すっかりジャンプの思うツボ。
□
あと、今週のジャンプで最も熱かったのは、文句なしで「デスノート」の夜神局長に決定。
TV局にトラックで単身突入をいきなり大敢行! あれが彼の武装錬金!(まちがい)
2004/05/22
「ココロノ ヤサシイ オタクノ サイトデス」 サンデー25号感想
- 「残念ながら、拙者は戦うしか能のない男だ」(道士郎でござる)
- ガクガクするゾフィス(金色のガッシュ!!)
- 路地裏で捨て猫に餌をやるバルキリー(史上最強の弟子ケンイチ)
- 最後のコマの獅堂クルト(暗号名はBF)
- 今週のかってに改蔵
- 番外:天国の本屋
□
1. 「残念ながら、拙者は戦うしか能のない男だ」(道士郎でござる)
こんな台詞を一度でいいから言ってみたかったよ! 彼は戦うために生まれてきた男!
うわーい恰好いいなぁ道士郎!(単純)
このマンガ、やっぱりやってることは性格の悪いヤンキーがわんさか出てくるいつもの西森作品と基本的に一緒だと思うのですが、そのヤンキー達と相対する主人公の行動理念がとてもマンガチックで判りやすく、かつ一本筋が通っていて妙に清々しいものであるためか、歪んだキャラが沢山出てくる割には爽やかな読後感が得られるマンガだと思いました。
「スッキリしているというか、殺伐としたモノがまったくない
」という健助君の台詞が説明台詞になっておらず、この意見に読者が素直に共感できる表現ができているところは、西森氏の漫画家としての実力の高さを感じさせます。安心して楽しめる作品になりそうな予感。
2. ガクガクするゾフィス(金色のガッシュ!!)
戦いには敗れたものの、散々シェリーを悔しがらせる台詞を吐いていい気になってたゾフィスでしたが、ブラゴに「じっくりかわいがってやる! 泣いたり笑ったりできなくしてやる!
」(要約)と脅されただけで、途端にガクブル状態に。この小心っぷりは、まさに小心者な小悪党のソレです。この姿こそが、ゾフィスの本性を如実に表していると思いました。
最後の最後まで期待通りにみじめで哀れな姿を晒してくれたゾフィスに乾杯。彼のガクブルっぷりをアニメ版で鑑賞するのが、今から楽しみです。DVDレコーダーを買っておいて良かった!(バカ)
しかし今回、シェリーが「ココが元の姿に戻るまで本は燃やさず、ゾフィスに自分の言うことを無理やり聞かせる」という行動に出たのは意外でした。これって、下手したらゾフィスがココと一緒に本を持って逃げ出す最悪の展開になりかねない危険な行為だと思うのですが、でもココにラブラブなシェリーにとっては、ゾフィスを手元に置くリスクを度外視してでもココを元に戻すことが最優先事項なので致し方がないところでしょうか。
ココとのストロベリーな妄想を現実のものとするためなら、もはや手段を選ばなくなったシェリー。彼女はホントいい女に成長したと思います。こんな女性と結婚したい。というか、むしろオレがココになりたい。なってシェリーに愛されたい。
3. 路地裏で捨て猫に餌をやるバルキリー(史上最強の弟子ケンイチ)
ヤンキー少女が、路地裏で捨て猫に餌を!
かつて「サラダデイズ」が『小雨の降る中、捨て猫に餌をやる少年を目撃してときめいちゃう少女
』なんて筋書きのマンガを出して来た時に「今時、こんなベッタベタなシナリオのラブコメが読めるだなんてスゲエ! 萌え!」と大喜びした私としては、今回の「ケンイチ」の展開にも激しく感動。オレはベタな展開が大好きだ! と久しぶりに自覚させられました。
少年マンガに登場する全ての女性キャラは、一度は捨て猫に餌をやるべき!(主張)
まぁ、こういうベタな話を持ってきても違和感がまったくないのは、それだけ「ケンイチ」がマンガとして王道の展開を歩いている証拠だと言うこともできます。
仮に「かってに改蔵」の羽美ちゃんが捨て猫を拾っても、ギャグ(あるいはホラー)にしかなりそうにないのとは対照的です。
4. 最後のコマの獅堂クルト(暗号名はBF)
黒いサングラス、派手な髪型、不敵な笑顔をみせる態度、そして線の太い『濃い』系統の絵柄。
何となく、このコマはもの凄い藤子不二雄Aっぽい絵柄だなと思ってしまったのですがどうか。なんかこのキャラ、人差し指を伸ばして「ビー!
」と叫んで超能力を使いそう。ソーマを射たれた時に「ギャース!
」とか叫びそう。「コ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ
」とかメラメラしそう。判って頂けるでしょうか(無理)。
Aはともかく、本編の方はすごく内容が濃くて面白かったです。まるで、長期連載マンガの最終回直前並のクオリティの様です。この濃さが、「もうすぐ連載が終わるから今のうちに(以下略)!
」という『武装錬金』と似たような理由から来ていないことを祈るばかりであります。
つうか、『武装錬金』は今期の打ち切りを回避できたって噂は本当なんですか?(ここはサンデー感想エントリです)
5. 今週のかってに改蔵
個人的に、今週のサンデーで一番面白かったというか、知的な興奮を味わえたのが「かってに改蔵」でした。
『被害者』をやたらクローズアップして視聴者の感情を煽ろうとする報道がマスメディアで飛び交う最近の風潮をスマートに揶揄した上で、キッチリとギャグマンガとして成立させているセンスは流石だと思います。
こういう話題をマンガの中で扱えるフォーマットを持っているのは、週刊少年マンガ誌の中では「改蔵」だけだと思いますし、そしてこんなネタでも嫌みを感じさせずにギャグとして成立させるだけの話を作れるバランス感覚を持ち合わせているのも、やっぱり週刊少年マンガ誌の中では久米田先生だけなんじゃないかと思います。
普段作ってるエピソードがちょっとアレがナニなので誤解されがちですけど、久米田先生は本当に才能がある人なんだなぁと、今回再認識させて頂きました。
勿論、こんなマンガが「金色のガッシュ!」や「犬夜叉」よりも売れるようになったら日本はおしまいなので、久米田先生は永遠に傍流に位置する宿命なんですけどね。
番外:天国の本屋
『自分には何のとりえもないと思っていた人が、かけがえのない人と出会ったり、自分の中にも他人を幸せにできるかけがえのない力があることに気付いたりして、将来への夢や希望を持てるようになるお話』。こう表現してみれば、今週の読みきりで掲載された「天国の本屋」も、先週完結を果たした「美鳥の日々」の高見沢シナリオも、物語としての本質は一緒であるということが判って頂けるかと思います。
「天国の本屋」の方は『日本中が感動した! 涙のベストセラー!』と世間的に大絶賛な評価を受けているのに、その一方で「美鳥の日々」を絶賛している我々がちょっと世間的に引け目を感じてしまっているというのは、いったい何が原因なのでしょうか。我々は、どこかで何かを間違ってしまったのでしょうか。
という嫌がらせな解釈はさておき、今回作画を担当した桐幡歩氏は、以前超増刊で「魔法の卵使い」を発表した人ですね。独特の雰囲気がある絵柄を描く人なのでピンと来ました(通っぽく)。
当時は「問題がある」と指摘されていた画面の処理も、さすがに今回はかなり改善されていると思います。絵柄も題材とマッチしており、個人的には好印象。この調子でがんばって頂きたい。
2004/05/20
DEATH, DEATH, DEATH, AND REBIRTH
シロが出てこないのに表紙がシロだ!(ワイド版18巻挨拶)
そんな感じで、「GS美神」のワイド版18巻が出ました。この巻で、いわゆるアシュタロス編は完結です。
正直アシュ編について語るのはもうコリゴリなのですが(笑)、椎名高志先生のファンサイトを名乗る以上は今の機会にこの話題に触れない訳にもいかないので、がんばってみます。
□
で、勿論アシュ編終盤と言えば「ルシオラの死」に端を発するファンの大騒ぎっぷりが今も思い浮かぶ訳なのですが、当時このサイトに寄せられたコメントのなかで、今でも心に残っているものがこれです:
ルシオラ、彼女の悲劇は7年前に設定されたキャラクターの枠組みに負けた事
そして、主役より遥かに魅力的だった事
もし、彼女が枠組みのない作品でヒロインとして主演していたら・・・・
と思う次第であります。
でも、ルシオラを創ってくださってありがとうございました椎名先生
椎名先生は、以前自分のサイトのイラストギャラリーの中で「そりゃ私だってできればハッピーエンドにしてあげたかったけど、横島と美神の間に割り込むなんて無謀だよ
」という趣旨のコメントを載せていました(現在はもう該当のエントリはありません)。
個人的にですが、アシュ編が抱える問題点は、読者による上記のコメントとこの椎名氏のコメントの間にある、両者の間の距離感に集約されると思っています。
ルシオラがあの作品の中で「死、そして転生」という妥協案なしで幸せになるためには、「GS美神」という作品の枠組みの根幹を成している美神=横島の関係性を崩さなければなりません。もしルシオラが最後まで生き残って美神除霊事務所に所属するようになり、そこで横島とルシオラが新しい関係を築くということになれば、これまで培われてきた美神と横島の間の関係(=美神が横島にとっての憧れであった存在からスタートし、美神が横島をパートナーとして認める関係に成長するに至った、この作品の根幹に関わる部分)が壊れてしまうのは必至です。
長い間の連載によって熟成された二人の関係を、そしてこの作品を成り立たせている「大枠」の部分を、ルシオラというキャラクターのためだけに壊すことができるかどうか。アシュタロス編における焦点は、最終的にはこれに集約されたと言っても良いでしょう。実際ルシオラには、読者がそれを期待できるだけの魅力と人気がありました。
勿論、椎名氏がこの枠組みを壊す路線を選択することはありませんでした。というか、最初からその選択はありえなかったとも言えます。
美神と横島の関係の強さを見せるシーンがアシュ編の中にも何度も出て来たことや、ルシオラでさえ「横島は美神と一緒になるべき」という考えで動いていたことが、この件に対する作者の意志を物語っています。また、アシュ編以降も連載が続くことが決まっていたこともあって、作品の大枠を今更崩すことはできなかったという事情もあったのかも知れません。
しかしこの判断は、コアのファンの間で「結局椎名氏は、自分の作品が一人のキャラによって壊れることを恐れたのではないか?
」というネガティブなイメージを結果的に与えてしまったのも確かなところでしょう。
作品の連載を維持するために行った判断が、その作品の人気を支えてきたファンの心理からかけ離れていた、という皮肉な状況が生じてしまったのです。
そしてこのネガティブイメージは、アシュ編終了後に発表されたエピソードによって、謀らずも増幅してしまうことになります。
アシュ編終了後のこのマンガは、元々この作品の要素ではなかった「魔族とのバトル」「ディープなラブロマンス」という存在を排除し、かつてのピュアでプリミティブなコメディマンガとしての姿に戻すことを目標にしていたように思えます。おそらく作者の側としては、アシュ編は「劇場映画版」のような、本編とは独立した番外編みたいな位置付けとして捉えて欲しかったのではないのでしょうか。
でも、多くの読者はその意図に反し、アシュ編終了後の「GS美神」を純粋にアシュ編の続きとして読もうとしていました。そして、そのような視点でアシュ編後のエピソードを読むと、あらゆる要素が「アシュ編をなかったことにする」意志に溢れたものとして見えてしまうようになるのです。
アシュ編最終話におけるルシオラの「救い」は『彼女は横島の子供として転生する』ということだったのですが、その横島のお相手となる(はずの)美神令子との関係は一向に進展せず、逆に横島絡みのラブコメ話そのものがほとんど存在しなくなってしまいます。その一方で、アシュ編までは大活躍だった「文珠」はほとんど使われなくなり、アシュ編終了直後に掲載された「ファイタースターター」編ではルシオラ達が仮住まいとしていた屋根裏部屋を火事で焼き尽くしたりと、何というかこう「アシュ編はなかったことにして行きたい!」みたいな意識を感じるエピソードが出てくる始末。
「ああ、椎名センセはアシュ編やるのがよっぽどイヤだったんだろうなぁ
」と穿った楽しみ方ができるひねくれた読者はともかく、アシュ編のことが忘れられないファンの中では、作品に対する不信感は募る一方でした。
読者のニーズと作者のやりたかったことの乖離が、この時期に生じていたのではないか? と私は思っています。
アシュ編以後、椎名氏はあまり積極的にラブコメや人間以外の女の子を描かなくなり、氏の作品は新たな方向性を模索するようになります。アシュタロス編は、漫画家・椎名高志氏にとって、大きなターニングポイントとなったことは間違いありません。
結局、氏が再び「人間じゃない女の子サイコー!
」という路線のピュアでプリミティブなコメディマンガを公表するまでには、アシュ編から約5年の歳月が必要になった訳なのですが、その辺についてはいずれ機会があれば触れてみたいと思います。
なんか今日はエラそうだなオレ。すみません。