2005/04/23
■ワイド版「GS美神」19巻
ブルァアア!(若本ヴォイスで挨拶)
お久しぶりです。深沢です。
まず近況ですが、懸案だった「暗号名はBF」1巻は、めでたく発売日に行きつけの本屋で買うことができました。
ただ、自分が買った時には、既に残り1冊の状態でした。やっぱ売れてるんだな(あるいは、入荷数が少なかったんだな)と実感。今回は買い逃さなくて良かったです。もし買い逃していたら、また新たな伝説を作るところでした。
そして、1冊しかない「BF」の隣で、10冊近く積み上がっていた「怪奇千万! 十五郎」2巻の姿が、妙に哀愁を誘ってました。
ああ、「十五郎」が載っていた頃のサンデーは、今ではもう遠い日の出来事のようだよ…
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そして、ワイド版「GS美神・極楽大作戦!!」19巻も入手(注意:ここからが本題です)。
この巻最大のトピックスは勿論表紙を飾っているタマモの登場である訳ですが、個人的にはやっぱり「GS美神'78」が一番面白く、かつ思い出深いです。何と言っても、若き日の唐巣神父がやたら格好良いのが印象的。
この話の中では、唐巣神父は結果的に美神母と吾妻の間を取り持つ引き立て役という三枚目なポジションになってしまった感がありましたが、でもそれだからこそ格好いいよ神父! 男の中の男だよ! オレもこういう男になりたいよ! と思わせる魅力に溢れたキャラクターになっています。実際、このサイトで当時行ったキャラクターアンケートでも、唐巣神父は見事トップの評価を受けていました。彼の格好良さと生き方に共感を覚えた読者が、それだけ多かったんじゃないかと思います。
でも考えてみれば、唐巣神父は最初から最後まで三枚目的というか、いつも苦労するけどイマイチ報われないポジションなキャラだったんですどね。
ああ、美神一族に関わったばっかりにあんな目に(笑)。
次にタマモについてですが、初登場時とシロとコンビを組んで除霊事務所に居候するようになってからとは、同じタマモでもキャラクターが微妙に(かなり?)異なっている、という印象を持っています。私は便宜的に、初登場時を前期型タマモ、それ以降を後期型タマモと呼んで区別しています(正確には、ワイド版20巻で出てくるであろうロリ型タマモもいますが)。
個人的には、どっちかと言えば前期型の方が好きです。特に、彼女がおキヌちゃんに化けて「人間なんて身勝手に悪いことして気まぐれで~
」と邪悪な表情で毒づいているカットが一番好きです。脳内で往年の國府田マリ子にアフレコさせて喜んでました(バカ)。
こういうキャラは、やっぱり「跳ねっ返りだった子が、徐々になついて行く
」過程を楽しむのが醍醐味なんですよね。
いつまでもひねくれ者で跳ねっ返りのままの君でいて欲しかったよ!(病気)
あと「ドリアングレイの肖像」の暮井緑先生も好きです。いつか椎名先生が女性向け雑誌でマンガを描くことになったら、彼女とドッペルゲンガーの同棲生活をネタにして短編を作って欲しいと思っているくらいです。
芸術まっしぐらで社会性皆無な真性ダメ人間の緑と、甲斐甲斐しく彼女の面倒をみる(けど中身のデキが緑と一緒なので結局は何やってもダメな)彼女のドッケルベンガーの生活は、立派にコントとして成立するくらい面白いに違いないと思いますがどうだろう。
もし、今後別冊少女コミックのギャグマンガ枠でマンガを描くような機会があったらぜひ(ぜひ?)。
■ワイド版GS美神20巻
お久しぶりです。深沢です。
世間的には「かってに改蔵」のやっちまった最終回で大騒ぎになっているんじゃないかと思うのですが、今回は先週発売されたワイド版「GS美神」の最終巻の話です。
ここは一応そういうサイトなので。
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それで「GS美神」の最終巻ですが、やっぱり「GS美神 '78!!」が何度読んでも秀逸。こんな勢いのあるラブコメ、今のサンデーじゃ滅多に読めません。
前にも書きましたけど、とにかく唐巣神父が男として格好良過ぎます。「失恋した美智恵に負けない力を身に付けるために修行の旅に出る」という最終話における彼の行動が、もう男らしすぎて辛抱たまりません。この時の彼は、理由は自分でも何だか判らないけど、とにかく「美智恵と吾妻がくっついた」現実に対して反逆したかったんでしょう。その気持ちよく判るぜ神父!
という訳で「GS美神'78」はたいへんに面白いのですが、それ以降の話になると、さすがに「連載末期」という言葉の響きがよく似合うグデグデした雰囲気が、どことなく漂って来るようになります。
特に「呪い好きサンダーロード!!」や「もし星が神ならば!!」を初めて読んだ時なんかは、「この程度のボリュームなら1話でコンパクトにまとめた方が面白そうなのに、どうしてわざわざ2話構成にするのか? 作者や編集部に何かあったのか?」とか好き勝手に思っていました。やっかいですね(オレが)。
またこの時期は、絵柄の面でもちょっと荒れ気味というか、キャラクターが不自然なまでにオーバーな表情をする記号的な表現(笑い目+涙+鼻水のアレです)の多用っぷりが目に付くような気がします。実際、「GS美神'78」までと「呪い好きサンダーロード」以降では、作風そのものが微妙に変わっているように見えてしまう時もありました。やっぱり、この時期に作者に何かがあったのか? とか勘ぐってしまうのがファン心理のやっかいなところですよね(自己肯定)。
更に、当時は「もし星が神ならば!!」に対して「織姫が化けるのは、美神じゃなくてルシオラであるべきだ!
」なんてツッコミがあったり、「マジカル・ミステリー・ツアー!!」に対しては「せっかくおキヌちゃんと横島のツーショットなのに、ラブ度が足りねえ!
」なんて意見が結構このサイトに寄せられたのも記憶に残っています。やっぱり、みんな色々と引きずっているものがあったんでしょう。
作者が提供するものとそういう読者が望むものの間の溝は、この時期になっても埋まることはなかったのです。
その後、サンデーで「ここより永遠に!!」が掲載された頃にGS美神の連載終了が正式に作者からアナウンスされ(サンデーファン感謝イベントのトークショーで椎名氏自ら「今最終回の原稿を描いている」と暴露して観客をビビらせたそうな)、この作品は終局に向かいます。
最終回「ネバーセイ・ネバーアゲイン!!」は、今読み返せば「GS美神」という作品の本来のテーマを端的に表現しているよくできたお話になっていると思うのですが、でもやっぱり当時は多くの読者の中にまだ色々と引きずっているものがあったためか、人間関係にケリをつけないままうやむやのうちに終わってしまったことに対しては、(それが作者の狙いであるのが判っていても)やっぱり釈然としないものを覚えた方も多かったのではないのでしょうか。
連載終了後に読んだ、とある「GS美神」の同人誌の中にあった「『GS美神』は最高のマンガだったが、最終回は最高ではなかった
」という言葉が、その釈然としない感覚を上手く表現しているなあと思いました。
アシュ編終了後の「GS美神」は、既にそういうコアなファンの期待に沿えるマンガではなくなっていたのかも知れません。
※ワイド版感想の締めとして、この機会に「GS美神」に対する個人的な想いを書いてみるつもりでしたが、ちょっと時間がなくてまとまらなくなっちゃったので、その辺はまた後日。
2004/05/20
■DEATH, DEATH, DEATH, AND REBIRTH
シロが出てこないのに表紙がシロだ!(ワイド版18巻挨拶)
そんな感じで、「GS美神」のワイド版18巻が出ました。この巻で、いわゆるアシュタロス編は完結です。
正直アシュ編について語るのはもうコリゴリなのですが(笑)、椎名高志先生のファンサイトを名乗る以上は今の機会にこの話題に触れない訳にもいかないので、がんばってみます。
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で、勿論アシュ編終盤と言えば「ルシオラの死」に端を発するファンの大騒ぎっぷりが今も思い浮かぶ訳なのですが、当時このサイトに寄せられたコメントのなかで、今でも心に残っているものがこれです:
ルシオラ、彼女の悲劇は7年前に設定されたキャラクターの枠組みに負けた事
そして、主役より遥かに魅力的だった事
もし、彼女が枠組みのない作品でヒロインとして主演していたら・・・・
と思う次第であります。
でも、ルシオラを創ってくださってありがとうございました椎名先生
椎名先生は、以前自分のサイトのイラストギャラリーの中で「そりゃ私だってできればハッピーエンドにしてあげたかったけど、横島と美神の間に割り込むなんて無謀だよ
」という趣旨のコメントを載せていました(現在はもう該当のエントリはありません)。
個人的にですが、アシュ編が抱える問題点は、読者による上記のコメントとこの椎名氏のコメントの間にある、両者の間の距離感に集約されると思っています。
ルシオラがあの作品の中で「死、そして転生」という妥協案なしで幸せになるためには、「GS美神」という作品の枠組みの根幹を成している美神=横島の関係性を崩さなければなりません。もしルシオラが最後まで生き残って美神除霊事務所に所属するようになり、そこで横島とルシオラが新しい関係を築くということになれば、これまで培われてきた美神と横島の間の関係(=美神が横島にとっての憧れであった存在からスタートし、美神が横島をパートナーとして認める関係に成長するに至った、この作品の根幹に関わる部分)が壊れてしまうのは必至です。
長い間の連載によって熟成された二人の関係を、そしてこの作品を成り立たせている「大枠」の部分を、ルシオラというキャラクターのためだけに壊すことができるかどうか。アシュタロス編における焦点は、最終的にはこれに集約されたと言っても良いでしょう。実際ルシオラには、読者がそれを期待できるだけの魅力と人気がありました。
勿論、椎名氏がこの枠組みを壊す路線を選択することはありませんでした。というか、最初からその選択はありえなかったとも言えます。
美神と横島の関係の強さを見せるシーンがアシュ編の中にも何度も出て来たことや、ルシオラでさえ「横島は美神と一緒になるべき」という考えで動いていたことが、この件に対する作者の意志を物語っています。また、アシュ編以降も連載が続くことが決まっていたこともあって、作品の大枠を今更崩すことはできなかったという事情もあったのかも知れません。
しかしこの判断は、コアのファンの間で「結局椎名氏は、自分の作品が一人のキャラによって壊れることを恐れたのではないか?
」というネガティブなイメージを結果的に与えてしまったのも確かなところでしょう。
作品の連載を維持するために行った判断が、その作品の人気を支えてきたファンの心理からかけ離れていた、という皮肉な状況が生じてしまったのです。
そしてこのネガティブイメージは、アシュ編終了後に発表されたエピソードによって、謀らずも増幅してしまうことになります。
アシュ編終了後のこのマンガは、元々この作品の要素ではなかった「魔族とのバトル」「ディープなラブロマンス」という存在を排除し、かつてのピュアでプリミティブなコメディマンガとしての姿に戻すことを目標にしていたように思えます。おそらく作者の側としては、アシュ編は「劇場映画版」のような、本編とは独立した番外編みたいな位置付けとして捉えて欲しかったのではないのでしょうか。
でも、多くの読者はその意図に反し、アシュ編終了後の「GS美神」を純粋にアシュ編の続きとして読もうとしていました。そして、そのような視点でアシュ編後のエピソードを読むと、あらゆる要素が「アシュ編をなかったことにする」意志に溢れたものとして見えてしまうようになるのです。
アシュ編最終話におけるルシオラの「救い」は『彼女は横島の子供として転生する』ということだったのですが、その横島のお相手となる(はずの)美神令子との関係は一向に進展せず、逆に横島絡みのラブコメ話そのものがほとんど存在しなくなってしまいます。その一方で、アシュ編までは大活躍だった「文珠」はほとんど使われなくなり、アシュ編終了直後に掲載された「ファイタースターター」編ではルシオラ達が仮住まいとしていた屋根裏部屋を火事で焼き尽くしたりと、何というかこう「アシュ編はなかったことにして行きたい!」みたいな意識を感じるエピソードが出てくる始末。
「ああ、椎名センセはアシュ編やるのがよっぽどイヤだったんだろうなぁ
」と穿った楽しみ方ができるひねくれた読者はともかく、アシュ編のことが忘れられないファンの中では、作品に対する不信感は募る一方でした。
読者のニーズと作者のやりたかったことの乖離が、この時期に生じていたのではないか? と私は思っています。
アシュ編以後、椎名氏はあまり積極的にラブコメや人間以外の女の子を描かなくなり、氏の作品は新たな方向性を模索するようになります。アシュタロス編は、漫画家・椎名高志氏にとって、大きなターニングポイントとなったことは間違いありません。
結局、氏が再び「人間じゃない女の子サイコー!
」という路線のピュアでプリミティブなコメディマンガを公表するまでには、アシュ編から約5年の歳月が必要になった訳なのですが、その辺についてはいずれ機会があれば触れてみたいと思います。
なんか今日はエラそうだなオレ。すみません。
2004/04/20
■ルシオラがまだ死んでないワイド版17巻
ワイド版最新巻の表紙はルシオラでしたね!
とか、微妙に時期を外したことを言いながらこんにちは。
本来ブログというメディアは速報性が売りなはずなのですが、今のところ「更新が楽になるツール」としか使ってないのでアレです。深沢です(挨拶)。
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で、ワイド版17巻の見所は、勿論そのルシオラを軸として物語がラブにコメって行くところにあります。ルシオラというキャラを横島に惚れさせる方向に話の舵を切る路線変更が大当たりし、読者も(おそらく作者も)ノリにノッていたのがこの頃。この辺がアシュ編で一番面白いところだと思います。
そんな中で物議を醸してこのサイトでも大騒ぎになったのが、「甘い生活!!」(その4)のエピソード。横島がルシオラと初めてキスをした思い出の場面を、よりによって「美神令子とのキス」に差し替える夢を見ていた! というシーンが登場、横島×ルシオラ路線を支持していた多くの読者から反感を買う結果となりました。当時のログはここから読めます。
もっとも、今ワイド版でまとめて読んでみれば、ちゃんと前の方で横島と美神の結びつきの強さを読者に再認識させるエピソードを提示しているのが判りますし(「GSの一番長い日!!」のその6・9など)、それより何よりコミックス二十数巻分に渡って積み重ねてきた二人の関係を考慮すれば、やっぱり「心の底では横島は美神のことを想っている」ことは読者も納得できるだろう――と、作者は考えていたんじゃないかと思われます。
が、結果的にはこれが逆に「作者はどうあってもルシオラを不幸な目に遭わせるつもりではないか」と、疑心暗鬼を抱かせるきっかけになってしまったような気がします。
この時既に熱心なファン達は、この作品の基本形態であるところの美神・横島コンビの関係よりも横島とルシオラの心の絆の方がより強い、横島はルシオラと結ばれるのが相応しい――と、真剣に想い始めるようになっていたのではないでしょうか。それだけの魅力が、ルシオラというキャラにはあったのです。
この辺のエピソードの中には、「彼女のいる横島なんか横島じゃないとかと手紙でぬかすかーッ!
」なんて暗に読者の意見を作者が揶揄するような台詞が出てきますけど、実際作者もファンからの声の強さに戸惑っていたのかも知れません。
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あと話は変わりますが、改めて読んでみてつくづく思ったことがあります。ベスパはいい娘です。
この巻で彼女は主人であり創造主であるアシュタロスに対する想いを露わにし、ルシオラ達と戦う覚悟を決めるのですが、でも彼女の思い人であるアシュ様は、今考えてみれば分の悪いギャンブルに全てを賭けちゃう破滅型の性格が災いして負け犬人生まっしぐらで将来性皆無なダメ人間だと思うんですけど、そんなダメな男に甲斐甲斐しく尽くすベスパの姿は、哀れを通り越してもはや感動の域に達しています。
直情的に行動して一時の幸福を手にしたけど結果的に身を滅ぼしたルシオラの生き方と、結局幸福にはなれなかったけど最後まで恋人に尽くして彼の最期を看取ったベスパの生き方。コミックの方ではいずれ己の愛と信念を賭けて戦うことになる二人ですが、どちらも自分の恋に対して正直な態度を取ったという意味では、結局似たもの同士だったのかも知れません。惚れた男がダメ人間なところも似ていますしね。
ルシオラの悲劇性ばかりが取りざたされ気味なアシュ編ですが、ベスパもルシオラと同じくらいの悲しみを背負っていたのだということを忘れてはいけないと思いました。
連載から約5年、この歳になってようやく判る、本当の女の魅力。
私も、ベスパみたいにおっぱいが大きい女性が素敵だと思えるようになりましたよ(おっぱい?)。
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