2005/09/29

■絶チルに関係する様々な思考テストの続き

 絶対可憐小泉チルドレン!(オヤジギャグ)
 前回に引き続き、たいへんにどうでもいいことが書かれている「絶チル」関連の雑感メモの続きです。

4. 紫穂だけが表現できる色気を考えるテスト

 第10話で紫穂が浴槽の中でエビアンを飲んでいたシーンがあったが、個人的にはエビアンよりも硬度がやたらと高くて慣れないうちは飲み込むことすら一苦労することで有名なセレブ御用達ミネラルウォーター・コントレックスを、時々喉に詰まらせて咳き込みながらも頑張って飲んでるシーンが見たい。勿論紫穂のことなので、飲み干した後は何事もなかったかのようにニッコリ微笑むに違いない。

 原稿速報では椎名先生がマンガの中のエロいシーンにツッコミを入れてくる読者に対する怒りを表明していたが、本当のエロってのはパンチラとか乳濡れとかではなく、そういうことを言うんだと思う。
 ただのフェチとも言う(フェチです)。

5. 兵部×皆本カップリングテスト

 原稿速報では椎名先生がマンガの中のエロいシーンにツッコミを入れてくる読者に対する怒りを表明していたが、それはそれとして、これまで絶チルで一番エロスを感じさせるシーンは、第2話で紫穂が脱いだ自分の靴下の臭いに顔をしかめているところだと思うがどうか。
 次点は、第8話でパイプ椅子に縛られて座らされて拷問を受けてた皆本。この二人の潜在的なエロさは底知れない。

 新キャラの兵部京介には残念ながらまだそういう意味でのエロさが足りてないのだが、今週の「絶チル」で皆本から目を反らせながらも感謝の言葉を引き出せたのは、兵部×皆本の関係性の構築を妄想する上では収穫だろう。このシーンでの皆本はちょっと照れていたはずなので、きっとツンデレっぽく頬を赤らめていたはずだ。兵部には、薫の潜在的な戦闘能力をより高めたのと同じように、皆本の潜在的な魅力を引き出す能力があるのかも知れない。
 兵部×皆本の関係性が成立するかどうかは「絶チル」の作品評価にも関わる重大観察事項であるので、引き続きそういう観点からも注目していきたい。

6. 隣のお姉さんみたいに優しい心境になるテスト

 原稿速報では椎名先生がマンガの中のエロいシーンにツッコミを入れてくる読者に対する怒りを表明していたが、私が推測するに、少年マンガ雑誌に載っている「ちょっとエッチな要素」が作品世界の根幹を成しているタイプのマンガに対して「このマンガには人気取りのためのエロなんか必要ない! エロがない方が絶対面白いのに!」と文句を言う読者は、

  • エロが低俗なモノであると認識しており、
  • 自分が好きな作品は低俗ではなく高尚なモノなのだと位置付けたいと願っており、
  • その作品を造っている作者も高潔な人間であって欲しいと願っており、
  • かつそんな自分の気持ちを世間にも認めてもらいたいという、

 ポップカルチャー好きな若者が一度はかかる病気にかかっているのではないかと思う。いわゆる「中二病」の一つ(多分)。赤松健先生のマンガに対して「エロがない方が!」とか苦言を呈していたりするのが、予想される典型的な症状。

 でも、このサイトは基本的に作者は擁護しないで読者を擁護するというスタンスなので、もしそんな書き込みをネットや何かで見かけたら、「それは、男の子なら誰もがみんな一度は経験することなのよ。キミが大人になるために必要な、大事なステップなの。ちっとも恥ずかしいことじゃないわ」と、隣に住む年上の優しいお姉さんのようなおおらかな態度で接していきたい。
 決して、「かつて『GS美神』が小学館漫画賞を受賞した時は、『このマンガはエッチだけど、エッチだけじゃない』ところが審査員に評価されたんだよ! この評価の真意が判るようになってから出直して来いよ!」とか、そういう狭量なことは言ってはいけない。言ってるけど(手遅れ)。

 あと、「今の椎名高志マンガに必要なのは色気よりも萌えではないか」という意見は私もごもっともだと思うのだが、かつておキヌちゃんに萌え萌えなファンに手を焼き、彼等を「病んでるファン」と呼称した経験がある椎名氏にとって、「萌え」で獲得できるタイプの人気には容易に与することができない、という感情はあるのかも知れない。
 とりあえず今週の薫には萌えた(だいなし)。

2005/09/19

■絶チルに関係する様々な思考テスト

※注意:大変にくだらないことしか書いてありません。

1. サンデー42号「絶対可憐チルドレン」扉絵イラストの能力マークを無理矢理別解釈してみるテスト
サイコキネシス
「クレーン作業中は上昇するコンテナに注意」
サイコメトリー
「ボールを使ったストレッチ運動で頭をリフレッシュ」
テレポーテーション
「ヨガテレポート→ドリルキック」(ダルシム

2. もし「絶対可憐チルドレン」が大人気になってカードゲーム化された時、「マジック・ザ・ギャザリング」とその亜流しか知らないデザイナーによってゲームがデザインされ、結局ギャザの劣化コピーみたいなゲームになっちゃってガッカリするのを防ぐため、「絶チル」らしいゲームシステムを事前に考えるテスト

 そういや、昔出てた「名探偵コナン」のトレーディングカードゲームって、事件からマナが出てくるシステムになってた気がしますが、実際どうなんだろう(挨拶)。

 仮に「絶チル」をゲーム化する場合、普通の対戦型カードゲームのようにデッキを組んでデュエルだ! 薫をタップして対象の皆本に4点ダメージ! みたいな形式よりも、

  • プレイヤーはチルドレンチームを指揮する立場となり、自分のチームを人類にとっての天使に育てることが目的。ライバルチームには「普通の人々」を差し向けて邪魔する。育成に失敗すると悪魔に育っちゃって人類が滅亡
  • プレイヤーはチルドレンの一人となり、自分の心と体と能力を成長させつつ皆本をモノにすることが目的。皆本をモノにした上で人類を滅亡させた子が勝ち
 みたいな、育成を題材にしたものの方がいいんじゃないかと思う。ポイントを積み重ねてゴールを目指す「Mille Borne」システムの亜流と相性よさそう。
 結局亜流。

3. もし「絶対可憐チルドレン」が大人気になってアニメ化された時の声優を考えるテスト
  • 桐壺帝三:若本規夫
  • その他:誰でもいい

2005/07/13

■「絶対可憐チルドレン」新連載開始記念 バーチャル読者アンケート

(サンデー33号に掲載された読者アンケートと同じ設問です)
 今号に掲載された椎名高志先生の新連載「絶対可憐チルドレン」についておききします。

■この作品は面白かったですか?

とても面白かった
面白かった
普通
あまり面白くなかった
面白くなかった
読んでない、分からない

■この作品を読んだ感想を、以下の中から選んでお答え下さい(いくつでも)

絵が魅力的だ
絵が魅力的でない
ストーリーが魅力的だ
ストーリーが魅力的でない
キャラクターが魅力的だ
キャラクターが魅力的でない
設定が魅力的だ
設定が魅力的でない
続きを読んでみたい
続きは読みたくない
椎名高志先生の別の作品が読みたい
読んでない、分からない
その他(具体的に) 
 [ 結果を見る ]

 そして今週のサンデーの読者アンケートにも、「A: 週刊少年サンデー第33号の中で一番面白かった記事、漫画を一つ選んで、番号で記入して下さい」の回答に「」と記入した上でちゃんと投函してあげてください。
 薫達が天使になるのか悪魔になるのかを決めるのは、皆本主任の教育的指導ではなく、全ては今週のアンケートの結果次第! 結果次第なのです!(煽り)

2005/07/11

■絶チルへの歩みをまとめてみました

 来週のサンデーから待望の「絶対可憐チルドレン」が始まりますが(いきなり)、ネットでざっと反応を読んだ限りでは、やっぱり「椎名高志といえばGS美神の人」みたいな印象が強いみたいで、それ以外のマンガ、特に週刊少年サンデーに掲載された以外のマンガに関しては、さすがに「美神」程には知られていないみたいです。

 確かに椎名高志先生は「GS美神極楽大作戦!!」が不動の代表作であり、もし先生が何か事件に巻き込まれた時には新聞記事に『「GS美神極楽大作戦!!」の作者として知られる椎名高志さん(40)が、バールのようなものを持った…』とか書かれちゃうのは間違いないんですけど、でも椎名高志は「GS美神」だけの漫画家ではない! 「美神」から「絶チル」に至るまでには、途中で色々なことがあったんですよ! という認識を広めることを目的に、「美神」終了から「絶チル」に至るまでの歩みを簡単にまとめてみることにしました。
 ファンサイトとして。(←ファンはそんな例えしません)

GS美神極楽大作戦!! アシュタロス編終了 (1998年49号)

 「GS美神」史上最長のエピソード、別名ルシオラ編が終了。「とりあえず…これでハッピーエンドってことにしない?」という美神の台詞に象徴されるオチの付け方に対して、ルシオラに入れ込んだコアなファン達が大騒ぎに(→当時のログの総集編)。
 その影響か、これ以後「極楽大作戦」の中ではラブコメめいたストーリーをほとんど扱わなくなる。相対的に、作品のパワーも低下傾向になったことは否めない。

GS美神極楽大作戦!!終了 (1999年41号)

 コミックス39巻で終了。当時のサンデー最長連載記録を樹立。

MISTERジパング (2000年14号~2001年46号)

 1550年代の戦国時代を舞台に、若き日の織田信長と、後の豊臣秀吉となる(はずだった)日吉との間で繰り広げられるドラマを描いた、歴史モノ作品。物語後半では「時間移動」や「並列世界」の概念が出てくるなど、SF要素が強くなって来るところが椎名高志のマンガらしいところではあるが、前半の「椎名流解釈に基づいた純粋な歴史マンガ」的なノリを支持する読者も数多い。
 また、作者はそういう人気を全く狙っていなかったにも関わらず、女性ファンが付いたことでも有名。最終的には「男性陣が風呂に入っているところに女刺客が一人で忍び込む」という、少年マンガ的に間違ってるシーンも登場。読者をビビらせた。

 ただ、「GS美神」的なノリを望んでいた古来のファンからは、今ひとつ支持を得られなかった印象がある。比較的短期で連載が終わったのも、その辺の人気の伸び悩みが一因だったのかも知れない。

GSホームズ極楽大作戦!!(サンデーGX 2002年1月号)

 19世紀のロンドンで、シャーロック・ホームズと「GS美神」のドクターカオスとマリアが接触していた! という設定の、「極楽大作戦」の外伝的作品。ホームズの二次創作としても、「美神」におけるカオス初登場に繋がるエピソードとしても完成度が高い。
 歴史的な人物を自己流にアレンジしてパロディ化する手法は「MISTERジパング」と同様であり、「パロディに強い椎名高志」を改めて印象づけた。ホームズは歴史上の人物じゃないけど。

一番湯のカナタ (2002年21・22号~2003年2号)

 都内で銭湯を営む親子のところに、クーデターを起こされて自分の星から亡命してきた王子が空から降ってきた! というところから始まるご町内SFコメディー。
 「SFコメディーの椎名高志」を全面にアピールする作戦で勝負に出たが、結果的に惨敗。コミックス3巻で打ち切りという厳しい結果に。「GS美神」終了以降の方向性の限界というか、行き詰まりを象徴する作品だったと言える。
 作者が「絶チル」に対して今もって自信が持てないのは、得意のフィールドであったはずのSFコメディーで勝負して勝てなかった「カナタ」の時のトラウマがあるためではないか、と勝手に推測している。

江戸浪狼伝 (サンデー超増刊 2003年3月号)

 江戸時代末期、仲間を求めて江戸にやって来た人狼族の藪月と、彼に関わることになった岡っ引きの清次を主人公とした物語。「一番湯のカナタ」打ち切りの興奮も冷めやらぬ時期に掲載されたものの、逆に椎名高志氏の地力の強さを証明することになった、クオリティの高い作品。
 今でも2ちゃんねるの801板サンデースレッドでたまに話題に出てくる程の根強い人気を持つ(←そういう評価の仕方はどうか)。

パンドラ (サンデーGX 2003年4月号~6月号)

 大学受験に失敗し、彼女にもフられ、絶望の底にいた主人公の海老名君の元に、「パンドラ」と名乗る明らかに人間じゃない女性が突然空から降ってやって来た! という導入で始まるラブコメディー。
 特筆すべきはやはり最終回の第3話で、主人公達が「空から降ってきた人間じゃない女のコ、最高ッ!!」と叫び出すシーンが特に印象に残る(→当時の自分の感想)。人間じゃない女の子を出したばっかりに大変なことになったアシュ編のルシオラ騒動以降引きずっていた作者の中の「何か」が、完全に吹っ切れたことを象徴するエピソードだった。
 現在の「絶チル」に続く椎名高志の復活劇はここから始まった! と言っても決して過言ではない、ある意味ターニングポイントとして記録されるべき作品(かも知れない)。ちなみにコミックス未収録。

絶対可憐チルドレン (サンデー超増刊2003年7月号)
零式といっしょ。 (サンデー超増刊2003年8月号)
破壊僧ジョドー (サンデー超増刊2003年9月号)

 サンデー超増刊に三ヶ月連続して掲載された読み切りシリーズ。「この中で一番評判が良かったお話を、次期連載の候補作品として編集部に持ち込む」みたいな決意が作者にあったようで、どのマンガもこのまま連載化されてもおかしくないくらいの深みを持っていた。「パンドラ」で何か大切なものを吹っ切っちゃった椎名氏の当時の勢いを感じる。
 結果的に「絶対可憐チルドレン」が後の連載化作品として生き残ったのはご存じの通り。

Time Slipping Beauty(ヤングマガジンアッパーズ2003年21~22号)

 タイムスリップ能力を持った少女・コヨミが、能力を駆使して人命を救うために戦う様子を描いた、極めてシリアスな雰囲気のアクションドラマ。
 長年に渡って小学館の雑誌でキャリアを積んできた椎名高志氏が、講談社の青年コミック誌でマンガを描いた、という意味で重要な意味を持つ作品。コミックス未収録。いずれは小学館から出るコミックスに収録される(らしい)。

絶対可憐チルドレン(2004年39号~42号)

 超増刊での高評価を受け、改めて週刊連載用にリメイクしたバージョン。少女達の指揮を執る水元の名前が皆本になったこと、超増刊版には存在していた彼の「アンチアンチエスパー」能力がなくなって普通の人間になったこと、そしてこの物語の最終的な目的が「三人娘の健全な育成」にあり、育て方を間違えたら世界が彼女たちの手によって破滅する未来が待っている点が明示されたこと、などの変更点がある。
 特にSFが大好きな人たちの感じるツボを刺激したのか、2005年星雲賞コミック部門にノミネートされる程の高い評価を得た。

蜘蛛巣姫(ヤングマガジンアッパーズ2004年20号)

 戦国時代、クモの物の怪・蜘蛛巣姫が、落ち武者となった八郎太に恋をした、という感じのライトなコメディー。
 「男運に恵まれない独身女の悲哀」を描ける程までに漫画家としても人間としても成熟した、作者の大人の余裕を感じる一品だ(おおげさ)。コミックス未収録。

ウルトラマンネクサス (てれびくん2004年12月号~2005年8月号)

 CBC/TBS系列で放送された「ウルトラマンネクサス」のコミカライズ版。椎名高志が原作付きの作品を幼年誌である「てれびくん」で描いた意外性や、「ウチのネクサスはしゃべらない」という作者の言葉に象徴される従来のウルトラマンコミックとは路線が異なる制作ポリシーなどが、「てれびくん」を読んでいる特撮ファンなど一部の人達の間では評判に。
 『ネクサス対ビースト』という子供にも判りやすい構図を中心にしながら、原作の持つシリアスなテイストも失うことなくマンガ化することに成功。この経験は、椎名氏にとって子供向けマンガを作ることに対する自信に繋がったのではないのだろうか。

GSホームズ極楽大作戦・血を吸う探偵 (サンデーGX 2005年6月号)

 大さっぱなあらすじはサンデーGX公式ページを参照。いわゆる「大空白期」を題材にした作品。こちらは前作とは趣が異なり、(「GS美神」の外伝というより)「椎名流ホームズ」的な雰囲気が色濃いのが特徴。
 また、「絶チル」の習作(描かれたのは短期連載版「絶チル」よりも前)という位置付けということもあってか、吸血鬼少女のエリスがやたらかわいい。ちゃんと正当派のツンデレが描けるんだと思った。

 あと、これを書くために久しぶりに「MISTERジパング」を読み直してみたのですが、今改めて読んでみるとこのマンガすげえ面白いんですけど。どうしよう

 このマンガ、「武田は滅びる」と予言して信玄の元から逃げたヒカゲが日吉と遭遇するところから物語が始まることに象徴されるように、「己に定められた運命と戦う」ことが物語の大きなテーマになっていたんですね。ヒカゲを取り戻して滅亡の歴史を書き換えようとした信玄、ヒカゲ(やヒナタ)や仲間達と共に新しい歴史を作ろうとした日吉、そしてそんなことはお構いなしで自分の天下を作ろうとした信長と、「定められた運命」に対するアプローチの仕方がそれぞれ異なるところがこの物語の肝だったように思えます。
 「己に定められた運命と戦う」というテーマは、そのまま「絶対可憐チルドレン」にも通じるものがあります。このテーマこそが、椎名先生がマンガを通じて訴えたいことなのかも知れませんね。

 とか、ファンサイトっぽいことを書きながら今回はおわり。
 来週から始まる「絶対可憐チルドレン」も、「GS美神」と一緒に椎名先生が事件に巻き込まれた時に、新聞記事に名前と一緒に併記されるくらいの代表作になって欲しいと願っています。ファンとしては(←ファンはそんな例えしません)。

2005/06/26

■嗚呼、絶チルが行く…

 ピアノ・ファイアのいずみのさんが、「絶対可憐チルドレン」連載開始に対するコメントを述べられていました。
 せっかくの機会なので、いずみのさんのコメントをダシに、もうちょっと今の自分の「絶チル」に対する現在の何とも言えない思いを文書化してみることにします。

子供にウケるか問題
ピアノ・ファイア: 絶チルはラブひなだ より

 そこをあえて週刊少年サンデーで連載するということは、「子供などの一般読者に読んでもらいたい」あるいは、「サンデーにSFコメディを復活させたい」という願望が込められている筈です。
 そこには「自分が描いているものは大衆(=子供から大人まで)が好む要素がどこか必ず含まれている筈だ」という希望が込められている筈です。

 椎名先生は「てれびくん」で「ウルトラマンネクサス」のコミカライズを担当していましたが、そこでの経験から「自分のマンガは子供相手でもヤレる!」という自信を深めたのではないか、という気がしています。

 椎名ネクサスを読んだことがある人なら判っていただけると思いますが、あのマンガは子供読者に対して全く容赦せず、ストーリーや作品のテーマも基本的に原作の(残酷な部分も含めた)テイストをできるだけ活かすような形で表現しています。あえてそうした理由は、いったい何処にあったのでしょうか。
 その理由と思われる発言を、以前「宇宙船」3月号に掲載されたインタビューから抜粋します:

――(「ウルトラマンはしゃべらない」と感情表現を排除する宣言をしているが? という質問に対して)

「(前略)喋った方がわかりやすいしハナシ早いですもんね。
 でも今はそのままやっても読者は普通についてきてくれますから」

 「そのままやっても読者は普通についてきてくれますから」!
 幼児向けマンガにしてこの強気の発言。この部分に、椎名氏の読者に対する信念が垣間見えます。椎名氏は「子供向け」だからと表現を判りやすくするのではなく、「読者は判ってくれる」と判断した上で、自分の考えた「ウルトラマン」の魅力を画として子供達に表現することを注視したのです。
 自分から子供におもねるのではなく、子供を自分のマンガの位置まで引き上げようとする意志を感じます。

 「絶対可憐チルドレン」も、椎名氏自ら「週刊少年誌作品としてはいくつか文法違反がある」と自覚しているにも関わらず、読み切りの頃から現在に至るまでまったく妥協することなくハードなSF路線を貫き通していますが、その根拠にはネクサスの時と同様の「例え週刊少年誌作品の文法から外れた部分があっても、読者はついてきてくれるから大丈夫」という考えがあるからなのではないか、と思います。
 つまり椎名氏は、(子供も含めた)我々読者の知性を信頼してくれているんですよ。我々にとって、こんなに嬉しいことはありません。

「武装錬金」になるか「愛人」になるか問題

 これは『武装錬金』の和月伸宏とは根本的に異なる点で

 「絶チル」の辿る運命が「武装錬金」と同様になるのではないか? という私の懸念ですが、これは連載の経過や作者の掲載誌に対する姿勢などはともかくとして、『結果的にそうなりかねないなあ』と思っているところから来ています。
 駒木氏は、「武装錬金」に対する懸念として「週刊少年マンガ誌の限界」(クオリティの高い話を、週刊ペースで、かつ制約が多い少年マンガの枠内に収めることは、作品のテーマを考えると難しい)、「ジャンプシステムによる弊害」(いくら物語の質が高くても掲載誌のシステムには逆らえない)の二つをあげていますが、今のサンデーで「絶チル」を連載する上でも、やはり似たような問題があると考えます。

 「絶チル」が内包しているテーマは、「人種差別」「力を持つ者の義務と責任」「自分とは違う『他者』に非寛容な社会への警鐘」「希望が見えない未来を変える可能性の模索」など、どれもこれも『銀の弾丸』が存在しない、真面目に考えれば考えるほどやっかいなものばかりです。これを単なるフレーバーとして使うのではなく少年マンガとしての「テーマ」に据えるからには、マンガの中でこれらの問題に対するそれなりのソリューションを提示し、読者に『希望』を与える必要があります。よりによって週刊少年サンデーで
 もし自分が担当編集者だったら、絶対頭抱えてますね。椎名氏の担当に生まれなくて本当に良かったです。

 まあ、この辺については、それこそエンターテナーでありストーリーテラーである椎名高志氏の手腕を信頼するしかありません。
 期待してます先生!(←前にあんなこと書いておいてコレか)

 前に例えに出した「愛人 -AI・REN-」も割と上記に近いテーマを掲げた作品だったのですが、田中ユタカ氏がエロマンガで培ったヒューマニズムを最大限に発揮した結果、キチンとこれらのテーマに対する希望を提示することに(エンターテイメントの枠内に収まる形で)成功しています。
 同様のテーマを描いたマンガで他に「これはすごい」と感心したのは、サンデーGXで連載されていた「ネコの王」(小野敏洋)でしょうか。何故か「禁断のブルマ魔法」以外で語られることが少ないマンガなのですが、実は色々と考えさせられる奥深さを持っていると思います。

光は絆だ問題

 絶チルがサンデーでヒットするということは、ラブひながマガジンでヒットすることと同じような意味がある、と言えなくもないでしょう。少年誌に風穴を開ける、という。

 「ラブひな」が当時のマガジン(ひいては、ティーンエイジを対象にした少年漫画全体)に大きなパラダイムシフトを起こしたことは事実です。しかし、当時の「ラブひな」と今の「絶チル」とでは、置かれている状況がかなり異なるのではないかと思っています。

 「ラブひな」の場合、当時はギャルゲー的なノリが通じるマイナー雑誌でしか通用しないムーブメントとして見られていた「美少女わんさかコメディー」の概念を、あえて週刊少年誌に大々的に持って来て勝負したというところが凄かったと思うのですが、少なくとも当時の赤松氏には「時代は確実にこっち側に来ている。だから勝てる」という読みがあったはずです。
 しかし「絶チル」の椎名氏の場合、「時代はむこう側に行ってしまった」と考えている様子。現状の自分(の作品)が置かれた状況に対し、かなり厳しい見方を示しています。

完成原稿速報040726 より

さて、この作品、かつてないほど入れ込んで描いてます。しかしそれがウケるかどうかというと、実は全然自信がありません。もともと「チルドレン」には週刊少年誌作品としてはいくつか文法違反があり、そこんところでこの数ヶ月すったもんだしてたんですが、結局その問題はほとんど改善されてないままなんですね。

完成原稿速報040813 より

改造の件といい、スピンちゃんの件といい(笑)、我々大きいお友達にとって少年誌はもうあまり居心地のいい場所ではないのかも。

 おそらく椎名氏は、自分が描くタイプのマンガが、今の少年誌が求めているマンガとはちょっと離れた場所にいることを自覚しているものと思われます。
 特にサンデーの場合、前編集長時代は「子供のための子供向けマンガ」に必要以上に拘っていたフシがあったようなので尚更でしょう。例え作者が「通じる」と信じていても、雑誌編集部が「通じない」と思ってしまえばそれまで。厳しいですね。
 更にサンデーに限って言えば、前作「一番湯のカナタ」が結果的に惨敗となってしまったことも、編集部として厳しく椎名氏に当たらざるを得ない状態に繋がっているでしょう。再び少年サンデーという舞台に戻ってくるためには、3年の歳月と、その間の数多くの短編作品での実績が必要だったのです。

 サイトでは「俺が打ち切られたら、誰かがあとをついでくれ。光は絆だ。」と冗談めかして書いてはいますが、たぶんこれは椎名氏の偽らざる本心です。本心。
 「絶チル」は、氏が光と信じる「背骨の通った美少女SFコメディー」を具現化したものであり、そしてこの系統の作品を心から必要としている読者は必ず存在しています。もし「絶チル」がいずみのさんが言うところの『少年誌に風穴を開ける』結果に繋がらなくても、それを必要としている読者がいる限り、SFコメディーの意志は「絶チル」に影響を受けた他の漫画家に受け継がれて行って欲しい。
 そんな願いをかけてしまうほど、今の椎名氏は今の状況を自分にとって相当不利だと考えているように思えてなりません。

 新連載に挑む今の椎名氏の心理は、「斑鳩」(D-LIVEじゃなくてシューティングゲームの方)の1面に出てくるメッセージに近いものがあるのかも知れません。というか、私は勝手にそう解釈しています。

嗚呼、斑鳩が行く・・・・・・
望まれることなく、浮き世から
捨てられし彼等を動かすもの。
それは、生きる意志を持つ者の
意地に他ならない。

 浮き世=少年マンガのメジャージャンルから捨てられた彼等=椎名高志が、生きる意志を持つ者の意地=自身は面白いと信じているけど今ではすっかりマイナージャンルになっちゃったSF路線のマンガを描き続ける執念を抱きながら動き始める。嗚呼、絶チルが行く…

 ここは本当に椎名ファンサイトなのでしょうか?(永遠の自問)

■キャッチコピーを考えたよ

椎名百貨店 the Web: 完成原稿速報050621より

「ソリッドな秋葉系でない、背骨の通った美少女SFコメディー」

 ソリッドな秋葉系マンガが大好きな人たちが「絶チル」をそういうマンガだと誤解しないための、新しいキャッチコピーを思いつきました!

 「このマンガにツンデレはいません

 工エエェェ(´д`)ェェエエ工(←お前もか)

 私が思うに、薫をちゃんと教育できさえすれば、立派なツンデレになれる素質はあると思います。
 短期連載版に出てきた未来の薫は、わざわざ世界規模で争乱を起こし、皆本に銃撃されて死ぬ直前にならなければ愛を告白できない程にツンツン要素をこじらせてしまったのが誤りでした。これは薫のツンデレ教育が失敗したことを意味しています。
 かと言って、あんまり惚れっぽく成長させて四六時中皆本相手にデレデレするようになってしまうと、そもそも彼女本来の仕事である「特務エスパー」として役立たずになってしまうのが困りもの。薫を育てるには、ツンとデレの間のバランスを考える必要があるんですよ。

 果たして皆本は、彼女を立派なエスパーとして育成すると同時に、立派なツンデレとして彼女を育てることができるのか!
 「絶対可憐チルドレン」とはそういうマンガであると解釈すれば、秋葉系が大好きな貴男も楽しめるのではないのでしょうか。
 ウソですが。(おわり)

2005/06/23

■絶チル反応と雑感

  • 「絶対可憐チルドレン」新連載正式発表に対するネット上の反応集
  • 今現在の「絶チル」に対する自分の雑感
    • もし短期連載版の最終話で掲げたテーマを描ききることができたら、椎名高志先生における「絶対可憐チルドレン」の存在は、田中ユタカ先生における「愛人」みたいな、『この作品にその作家の持てる才能を全て注ぎ込んだ代表作』級の作品になり得る
    • というか、それくらいの覚悟がないと、このマンガのテーマは描けないんじゃないか
    • しかし一歩間違えれば、和月伸宏先生における「武装錬金」みたいな結果になりそう
    • なりそう
    • かつて駒木博士が「武装錬金」に対して感じていたという、『非常に大きな可能性を秘めていながらも、最終的には可能性だけで終わらせてしまいそう』って感覚がコレなのか
    • 先生、「光は絆だ!」とか姫矢(ウルトラマンネクサスに変身。現段階で行方不明)みたいなこと言ってるし
    • 死ぬ気だ
    • ただ「絶チル」には、読み切り版でプロトタイピングを行い、それを一度破棄した上で短期連載版を新たに再構築、更にそれに基づいて連載版を構築したという、通常ではあまり見られない工程を経ている特徴がある
    • 最初にプロトタイプを作ってインターフェース(=主要な登場人物)を確認し、そこで生まれた成果物に対する要求を踏まえた上でフレームワーク(=世界設定やストーリーなど)を新たに構築するやり方は、ソフトウェア業界で「反復型開発」と呼ばれてる開発手法に少し似ているのではないか
    • 実際に動くソフトを顧客に見せ、そこから得た反応を即座にフィードバックしてリリースするサイクルを繰り返し、システムをブラッシュアップさせていく――という反復型開発の利点を、「絶チル」も享受していることが期待される
    • 実際、短期連載版からどこがどう変わったのか。楽しみだ
    • でも、やっぱり「第一話」を3回も描くことになっちゃったのは大変だよなあと思った(おわり)

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