2005/06/26

■キャッチコピーを考えたよ

椎名百貨店 the Web: 完成原稿速報050621より

「ソリッドな秋葉系でない、背骨の通った美少女SFコメディー」

 ソリッドな秋葉系マンガが大好きな人たちが「絶チル」をそういうマンガだと誤解しないための、新しいキャッチコピーを思いつきました!

 「このマンガにツンデレはいません

 工エエェェ(´д`)ェェエエ工(←お前もか)

 私が思うに、薫をちゃんと教育できさえすれば、立派なツンデレになれる素質はあると思います。
 短期連載版に出てきた未来の薫は、わざわざ世界規模で争乱を起こし、皆本に銃撃されて死ぬ直前にならなければ愛を告白できない程にツンツン要素をこじらせてしまったのが誤りでした。これは薫のツンデレ教育が失敗したことを意味しています。
 かと言って、あんまり惚れっぽく成長させて四六時中皆本相手にデレデレするようになってしまうと、そもそも彼女本来の仕事である「特務エスパー」として役立たずになってしまうのが困りもの。薫を育てるには、ツンとデレの間のバランスを考える必要があるんですよ。

 果たして皆本は、彼女を立派なエスパーとして育成すると同時に、立派なツンデレとして彼女を育てることができるのか!
 「絶対可憐チルドレン」とはそういうマンガであると解釈すれば、秋葉系が大好きな貴男も楽しめるのではないのでしょうか。
 ウソですが。(おわり)

■嗚呼、絶チルが行く…

 ピアノ・ファイアのいずみのさんが、「絶対可憐チルドレン」連載開始に対するコメントを述べられていました。
 せっかくの機会なので、いずみのさんのコメントをダシに、もうちょっと今の自分の「絶チル」に対する現在の何とも言えない思いを文書化してみることにします。

子供にウケるか問題
ピアノ・ファイア: 絶チルはラブひなだ より

 そこをあえて週刊少年サンデーで連載するということは、「子供などの一般読者に読んでもらいたい」あるいは、「サンデーにSFコメディを復活させたい」という願望が込められている筈です。
 そこには「自分が描いているものは大衆(=子供から大人まで)が好む要素がどこか必ず含まれている筈だ」という希望が込められている筈です。

 椎名先生は「てれびくん」で「ウルトラマンネクサス」のコミカライズを担当していましたが、そこでの経験から「自分のマンガは子供相手でもヤレる!」という自信を深めたのではないか、という気がしています。

 椎名ネクサスを読んだことがある人なら判っていただけると思いますが、あのマンガは子供読者に対して全く容赦せず、ストーリーや作品のテーマも基本的に原作の(残酷な部分も含めた)テイストをできるだけ活かすような形で表現しています。あえてそうした理由は、いったい何処にあったのでしょうか。
 その理由と思われる発言を、以前「宇宙船」3月号に掲載されたインタビューから抜粋します:

――(「ウルトラマンはしゃべらない」と感情表現を排除する宣言をしているが? という質問に対して)

「(前略)喋った方がわかりやすいしハナシ早いですもんね。
 でも今はそのままやっても読者は普通についてきてくれますから」

 「そのままやっても読者は普通についてきてくれますから」!
 幼児向けマンガにしてこの強気の発言。この部分に、椎名氏の読者に対する信念が垣間見えます。椎名氏は「子供向け」だからと表現を判りやすくするのではなく、「読者は判ってくれる」と判断した上で、自分の考えた「ウルトラマン」の魅力を画として子供達に表現することを注視したのです。
 自分から子供におもねるのではなく、子供を自分のマンガの位置まで引き上げようとする意志を感じます。

 「絶対可憐チルドレン」も、椎名氏自ら「週刊少年誌作品としてはいくつか文法違反がある」と自覚しているにも関わらず、読み切りの頃から現在に至るまでまったく妥協することなくハードなSF路線を貫き通していますが、その根拠にはネクサスの時と同様の「例え週刊少年誌作品の文法から外れた部分があっても、読者はついてきてくれるから大丈夫」という考えがあるからなのではないか、と思います。
 つまり椎名氏は、(子供も含めた)我々読者の知性を信頼してくれているんですよ。我々にとって、こんなに嬉しいことはありません。

「武装錬金」になるか「愛人」になるか問題

 これは『武装錬金』の和月伸宏とは根本的に異なる点で

 「絶チル」の辿る運命が「武装錬金」と同様になるのではないか? という私の懸念ですが、これは連載の経過や作者の掲載誌に対する姿勢などはともかくとして、『結果的にそうなりかねないなあ』と思っているところから来ています。
 駒木氏は、「武装錬金」に対する懸念として「週刊少年マンガ誌の限界」(クオリティの高い話を、週刊ペースで、かつ制約が多い少年マンガの枠内に収めることは、作品のテーマを考えると難しい)、「ジャンプシステムによる弊害」(いくら物語の質が高くても掲載誌のシステムには逆らえない)の二つをあげていますが、今のサンデーで「絶チル」を連載する上でも、やはり似たような問題があると考えます。

 「絶チル」が内包しているテーマは、「人種差別」「力を持つ者の義務と責任」「自分とは違う『他者』に非寛容な社会への警鐘」「希望が見えない未来を変える可能性の模索」など、どれもこれも『銀の弾丸』が存在しない、真面目に考えれば考えるほどやっかいなものばかりです。これを単なるフレーバーとして使うのではなく少年マンガとしての「テーマ」に据えるからには、マンガの中でこれらの問題に対するそれなりのソリューションを提示し、読者に『希望』を与える必要があります。よりによって週刊少年サンデーで
 もし自分が担当編集者だったら、絶対頭抱えてますね。椎名氏の担当に生まれなくて本当に良かったです。

 まあ、この辺については、それこそエンターテナーでありストーリーテラーである椎名高志氏の手腕を信頼するしかありません。
 期待してます先生!(←前にあんなこと書いておいてコレか)

 前に例えに出した「愛人 -AI・REN-」も割と上記に近いテーマを掲げた作品だったのですが、田中ユタカ氏がエロマンガで培ったヒューマニズムを最大限に発揮した結果、キチンとこれらのテーマに対する希望を提示することに(エンターテイメントの枠内に収まる形で)成功しています。
 同様のテーマを描いたマンガで他に「これはすごい」と感心したのは、サンデーGXで連載されていた「ネコの王」(小野敏洋)でしょうか。何故か「禁断のブルマ魔法」以外で語られることが少ないマンガなのですが、実は色々と考えさせられる奥深さを持っていると思います。

光は絆だ問題

 絶チルがサンデーでヒットするということは、ラブひながマガジンでヒットすることと同じような意味がある、と言えなくもないでしょう。少年誌に風穴を開ける、という。

 「ラブひな」が当時のマガジン(ひいては、ティーンエイジを対象にした少年漫画全体)に大きなパラダイムシフトを起こしたことは事実です。しかし、当時の「ラブひな」と今の「絶チル」とでは、置かれている状況がかなり異なるのではないかと思っています。

 「ラブひな」の場合、当時はギャルゲー的なノリが通じるマイナー雑誌でしか通用しないムーブメントとして見られていた「美少女わんさかコメディー」の概念を、あえて週刊少年誌に大々的に持って来て勝負したというところが凄かったと思うのですが、少なくとも当時の赤松氏には「時代は確実にこっち側に来ている。だから勝てる」という読みがあったはずです。
 しかし「絶チル」の椎名氏の場合、「時代はむこう側に行ってしまった」と考えている様子。現状の自分(の作品)が置かれた状況に対し、かなり厳しい見方を示しています。

完成原稿速報040726 より

さて、この作品、かつてないほど入れ込んで描いてます。しかしそれがウケるかどうかというと、実は全然自信がありません。もともと「チルドレン」には週刊少年誌作品としてはいくつか文法違反があり、そこんところでこの数ヶ月すったもんだしてたんですが、結局その問題はほとんど改善されてないままなんですね。

完成原稿速報040813 より

改造の件といい、スピンちゃんの件といい(笑)、我々大きいお友達にとって少年誌はもうあまり居心地のいい場所ではないのかも。

 おそらく椎名氏は、自分が描くタイプのマンガが、今の少年誌が求めているマンガとはちょっと離れた場所にいることを自覚しているものと思われます。
 特にサンデーの場合、前編集長時代は「子供のための子供向けマンガ」に必要以上に拘っていたフシがあったようなので尚更でしょう。例え作者が「通じる」と信じていても、雑誌編集部が「通じない」と思ってしまえばそれまで。厳しいですね。
 更にサンデーに限って言えば、前作「一番湯のカナタ」が結果的に惨敗となってしまったことも、編集部として厳しく椎名氏に当たらざるを得ない状態に繋がっているでしょう。再び少年サンデーという舞台に戻ってくるためには、3年の歳月と、その間の数多くの短編作品での実績が必要だったのです。

 サイトでは「俺が打ち切られたら、誰かがあとをついでくれ。光は絆だ。」と冗談めかして書いてはいますが、たぶんこれは椎名氏の偽らざる本心です。本心。
 「絶チル」は、氏が光と信じる「背骨の通った美少女SFコメディー」を具現化したものであり、そしてこの系統の作品を心から必要としている読者は必ず存在しています。もし「絶チル」がいずみのさんが言うところの『少年誌に風穴を開ける』結果に繋がらなくても、それを必要としている読者がいる限り、SFコメディーの意志は「絶チル」に影響を受けた他の漫画家に受け継がれて行って欲しい。
 そんな願いをかけてしまうほど、今の椎名氏は今の状況を自分にとって相当不利だと考えているように思えてなりません。

 新連載に挑む今の椎名氏の心理は、「斑鳩」(D-LIVEじゃなくてシューティングゲームの方)の1面に出てくるメッセージに近いものがあるのかも知れません。というか、私は勝手にそう解釈しています。

嗚呼、斑鳩が行く・・・・・・
望まれることなく、浮き世から
捨てられし彼等を動かすもの。
それは、生きる意志を持つ者の
意地に他ならない。

 浮き世=少年マンガのメジャージャンルから捨てられた彼等=椎名高志が、生きる意志を持つ者の意地=自身は面白いと信じているけど今ではすっかりマイナージャンルになっちゃったSF路線のマンガを描き続ける執念を抱きながら動き始める。嗚呼、絶チルが行く…

 ここは本当に椎名ファンサイトなのでしょうか?(永遠の自問)

2005/06/25

■サンデー30号感想リハビリ中

  1. 小枝にスカートが引っかかって困ってる時音(結界師)
  2. 鼻魔神の瞳(ブリザードアクセル)
  3. 桂ヒナギク(ハヤテのごとく!)
  4. ひき逃げアタック(こやしや我聞)
  5. たいへんに男らしいリーゼさん(からくりサーカス)
  6. 番外.「いでじゅう!」最終回

1. 小枝にスカートが引っかかって困ってる時音(結界師)

 「クロザクロ」の幹人がずっとパンツ一丁姿なのには、何か深遠な理由が!?(挨拶)

 そんな感じで、久しぶりにサンデーの感想です。こんにちは。
 仕事が鬼のように忙しかった間も一応サンデーは買っていたんですけど、ちゃんと中身を読む時間がほとんど取れなかったため、連載マンガの内容が記憶からほとんど欠落していたことに気付きました。
 たとえば「結界師」の場合、一度登場したはずの黒芒楼のメンバーの顔や特徴を、私はまったく把握できていません。彼らは「裏会」幹部メンバー同様、今後このマンガに深く関わって来るのは確実でしょうから、「結界師」をちゃんと楽しむならとりあえずキャラを知っておく必要はあるかな? とは思っているのですが。
 今週号の話を読んだ結果、とりあえず「牙銀」というキャラは、アニメ化されたら山口勝平が声を担当しそうなタイプであることは把握できました。この調子でリハビリに努めたいと思います。

 そして今週のサンデーですが、小枝に制服のスカートが引っかかって困ってる時音の姿にグッと来たので「結界師」が一位ということで(バカ)。控えめなエロスをわきまえてる時音さんがステキ。
 というか、サンデーをちゃんと読めなかった間でも、足を捕まれて壮大にコケたり、顔に妖怪が張り付いて困ってたりした彼女の姿だけは、何故か鮮明に覚えているんですよ。普段は冷静なお姉さんがドジを踏んで慌てる姿には、人間の無意識下に強く訴える何かがあるのかも知れません。
 学術的なことを言って年上キャラ好きを誤魔化したので次。

2. 鼻魔神の瞳(ブリザードアクセル)

 出会い頭で、いきなり吹雪に愛の告白をした鼻魔神の瞳が美しすぎます。
 なんてキレイな眼をしてやがる…(感想?)

3. 桂ヒナギク(ハヤテのごとく!)

 「結界師」の黒芒楼メンバーにも困りましたが、しばらく見ない間に「ハヤテのごとく!」に新キャラっぽい人がわんさか出てきていたのにも困りました(困るのか)。
 というか、本当に学園編をやっちゃってますよこのマンガ。ナギとハヤテのドキドキお屋敷引きこもり型マンガから、ついに本格的に脱却ですか? 1萌えキャラ/週のペースで女性キャラをどんどん増やしていき、いずれはハヤテが何処へ行ってもモテモテになるハーレムマンガ体制を盤石になさるおつもりですか? さすがです畑先生!(「こわしや我聞」に出て来る眼鏡秘書の千紘ちゃんっぽく)

 そんな畑先生の野望の一翼を担うものと思われる桂ヒナギクさんですが、ハヤテに「私のことはヒナギクって呼びなさい」とお願いする時のポーズが実に絶妙(むしろ巧妙)で、その筋の方々の感じるツボを刺激したことはおそらく必至。このままサブレギュラーになれれば、普通に人気が出そうなキャラだなあと思います。
 彼女を活かすためにも、ハヤテはこの学園の生徒になるべきですね。もちろん女装して(もちろん?)。

 あと毎回思うのですが、このマンガのサブタイトルとトビラの煽り文句を考えている人は。今週の「現在が大事だ! 現在を守ろう! 世界を革命しない力! とりあえず現状維持からだ!」は、これからの人生の座右の銘の一つにしたいくらいのスマッシュヒットでした。この後ろ向きなところが、今の私にピッタリです。
 ここまでトビラが必要以上に面白いマンガは、週刊連載ではチャンピオンの「がんばれ酢めし疑獄!」以来かも知れない。

4. ひき逃げアタック(こわしや我聞)

 このネーミングセンス! そしてこの負けっぷり!
 さすがです若様!(眼鏡秘書の千紘ちゃんっぽく)

 才蔵が負けることは読者の誰しもが判っていたことではありますが、ここまで噛ませ犬に徹してくれると、むしろ清々しいです。サンデー超増刊連載時代は彼が我聞にとって最大最後最強のライバルキャラだったことなんて、今じゃもうきっと誰も信じてくれないに違いありません。
 さらば才蔵(勝手に)。

参照:ひき逃げアタックをGoogleで検索

5. たいへんに男らしいリーゼさん(からくりサーカス)

 「私は〈猛獣使い〉! 獣に喰われ、路傍に屍をサラすが本望!
 「マサルサンを、助けるタメにワタシは来タンダ!

 今週の「からくりサーカス」におけるリーゼの台詞回しには、「覚悟のススメ」の零に宿った英霊達の名台詞「私は軍人! 安らぎは受け取らぬ! 覚悟の居るあの荒れ果てた世界に、安らぎをもたらすのだ!」にも似た迫力を感じます。天国で割腹しかねない勢いです。
 こんなノリで迫られたら、そりゃ猛獣たちも「その心意気や見事なり! 戦士と認める!」とリーゼを主と認めざるを得ないでしょう。

 特に、最後のコマのユニコーンに乗ったリーゼの格好良さは異常。こんなに格好良くユニコーンを乗りこなす女性を見るのは初めてですよ。ユニコーンなんて乙女チックな動物をも漢の乗り物に変えてしまう、リーゼロッテの心意気や恐るべし!(そういうマンガだったっけか)

番外.「いでじゅう!」最終回

 サンデーをちゃんと読む暇がなくて何が一番残念だったかと言えば、クライマックスに差し掛かった「いでじゅう!」をちゃんと楽しめなかったことに尽きます。
 後で一ヶ月分のサンデーをゆっくり読み直して復習しよう…

 今週の最終回では、藤原が黄金水をバラまいてたところにグッと来ました。これって、彼が第一話で空中を浮遊しながら黄金水をバラまいてたオチへのオマージュですよね。オマージュ。「Webサンデー」のいでじゅう紹介ページですら読めない第一話への。
 初めて第一話を読んだ時は「たいへんなマンガが始まっちゃったー!」と思ってましたが、結果的にサンデーを代表するラブコメマンガにまで成長したんですから大したものです。すっかりサンデーの次世代を担う逸材へと成長した、モリタイシ先生の次回作に期待します(フォロー)。

2005/06/23

■絶チル反応と雑感

  • 「絶対可憐チルドレン」新連載正式発表に対するネット上の反応集
  • 今現在の「絶チル」に対する自分の雑感
    • もし短期連載版の最終話で掲げたテーマを描ききることができたら、椎名高志先生における「絶対可憐チルドレン」の存在は、田中ユタカ先生における「愛人」みたいな、『この作品にその作家の持てる才能を全て注ぎ込んだ代表作』級の作品になり得る
    • というか、それくらいの覚悟がないと、このマンガのテーマは描けないんじゃないか
    • しかし一歩間違えれば、和月伸宏先生における「武装錬金」みたいな結果になりそう
    • なりそう
    • かつて駒木博士が「武装錬金」に対して感じていたという、『非常に大きな可能性を秘めていながらも、最終的には可能性だけで終わらせてしまいそう』って感覚がコレなのか
    • 先生、「光は絆だ!」とか姫矢(ウルトラマンネクサスに変身。現段階で行方不明)みたいなこと言ってるし
    • 死ぬ気だ
    • ただ「絶チル」には、読み切り版でプロトタイピングを行い、それを一度破棄した上で短期連載版を新たに再構築、更にそれに基づいて連載版を構築したという、通常ではあまり見られない工程を経ている特徴がある
    • 最初にプロトタイプを作ってインターフェース(=主要な登場人物)を確認し、そこで生まれた成果物に対する要求を踏まえた上でフレームワーク(=世界設定やストーリーなど)を新たに構築するやり方は、ソフトウェア業界で「反復型開発」と呼ばれてる開発手法に少し似ているのではないか
    • 実際に動くソフトを顧客に見せ、そこから得た反応を即座にフィードバックしてリリースするサイクルを繰り返し、システムをブラッシュアップさせていく――という反復型開発の利点を、「絶チル」も享受していることが期待される
    • 実際、短期連載版からどこがどう変わったのか。楽しみだ
    • でも、やっぱり「第一話」を3回も描くことになっちゃったのは大変だよなあと思った(おわり)

2005/06/09

■琥珀やばい(サンデー25号感想)

 お久しぶりです。
 ようやくマンガの感想を書く心の余裕ができ始めたので、これまで溜まっていたサンデーの感想とかをぼちぼち書いていきたいと思います。

 今回はサンデー25号の感想。「ハヤテのごとく!」で眼鏡っ娘のサキさんがツインテールにされて涙目になってた号です。

 この号で個人的に最萌えだったキャラは、「ハヤテ」のツインテサキでも、「我門」の袴國生さんでも、「MAJOR」の松尾でもなく、「犬夜叉」の琥珀でした。
 琥珀ヤバい。マジヤバい。

 私はかねてから、「犬夜叉」における最萌えカップルは桔梗×琥珀である! と主張して来たのですが、その私から見ても、この号の「犬夜叉」のこのカップルのラブラブっぷりは異常。より具体的に言えば、桔梗の琥珀に対する入れ込みっぷりは異常
 作品内のヒエラルキー的には奈落と並んで最も上位にいる存在であるはずの桔梗ですら、珊瑚や神楽を籠絡し、年上キラーの名を欲しいままにしている(私の頭の中で)琥珀の魅力の前には、やっぱり太刀打ちできなかったみたいです。

 桔梗は、「おまえの瞳には迷いも恐れもない」という表現で琥珀の純粋で美しい瞳の魅力を讃え、その上で "相思相愛なのに結ばれない己の運命を嘆く恋人同士" の常套句である「もし違う形で出会っていたら…」という慣用句を使い、本来あるべきだった(というか、桔梗が一方的にこうあって欲しいと望んでいる)二人の姿を思わず妄想してしまう始末です。もう完全に琥珀にメロメロです彼女。
 まあ、かつて犬夜叉に目を付けたことからも判るように、元々桔梗は「年下のかわいい男の子」が大好きな傾向があるっぽいのですけど、にしても桔梗の琥珀に対するこの入れ込みっぷりは大したものだと思います。一度死してなおも年下に萌える桔梗の姿からは、最近の美少女わんさかコメディーに登場するような量産型美少女には決して醸し出すことができない、女の業みたいなものを感じてなりません。

 さすがは永遠の名作「めぞん一刻」を描いた高橋留美子先生、執念深い女性キャラを描かせたら天下無双の実力を発揮しますよね!

 勿論、本当に凄いのは、桔梗にそこまでさせてしまう(というか、読者に「桔梗が琥珀に同情して入れ込んでしまうのも仕方がない」と納得させるだけの魅力を持つ)琥珀の存在そのものにあるんですけどね。琥珀にはきっと、年上の女性が思わず彼を連れ回したくなる何かが潜んでいるに違いありません。
 「けなげ」・「はかなげ」・「いたいけ」という、守ってあげたくなる美少年三要素を兼ね備えている琥珀には、相方の女性キャラの母性的な性質を引き出す力があるのでしょう。

 実際、彼の側にいてどうにかならない女性キャラは、「犬夜叉」界ではおそらくりんだけなんじゃないかと思われますがどうか。いやまあ、りんはりんで、年上の男性が思わず彼女を連れ回したくなる何かが(以下略)。

 久しぶりに書いたマンガ感想がこんなのでいいのでしょうか。

2005/05/14

■表紙を飾ったにも関わらず本編で凹まされる吾郎ちゃんが目印!(宣伝文句) サンデー24号感想

  1. 「従ってんじゃねえぞー!」(金色のガッシュ!)
  2. 逆鬼萌え編(史上最強の弟子ケンイチ)
  3. 扇一郎(結界師)
  4. ブリザードアクセルの本当の主人公は花音なのではないかと思った(ブリザードアクセル)
  5. 「マズイな…早すぎる…」(クロザクロ)
  6. 番外:ザスパ草津物語

1. 「従ってんじゃねえぞー!」(金色のガッシュ!)

 自分の意見を通そうと相手を説得する際に相手を煽る手法は、ネットでやると間違いなく炎上の原因になるので気を付けよう!(挨拶)

 お話としては、誰も犠牲にしないことを目指して戦うガッシュと、自己を犠牲にして他の者を助けようと戦うエリーの対立がメインでした。自らの信念に基づいて考えた結果、同じ問題に対して全く正反対の結論を出した両者の対比が面白かったです。ガッシュから見れば、エリーとアースは自分が散々悩んだ上で切り捨てた『自己犠牲』という解決法を選んだ者であり、彼の性格や信念を考えれば絶対に許せるものではなかったのでしょう。
 「金色のガッシュ!」の面白さは、熱い魂を持った者同士が信念を貫き通すために戦うところにあると思うのですが、今回は久しぶりにそういう熱い側面を魅せてくれたいいエピソードでした。ウンコティンティン様もいいけど、たまにはこういう話もないとね!

 そして、時間と空間を支配するモモンの能力は、今回もまた相変わらず有用でした。モモンは、潜在的に「サイキックフォース」のウォンと同レベルの強さを持っているものと思われます(変な例え)。
 これで「戒めの洗礼」級の攻撃技さえ持つことができれば、いずれモモン最強説が提唱されるのも時間の問題なのではないのでしょうか。そんな気がしませんか(しません)。

2. 逆鬼萌え編(史上最強の弟子ケンイチ)

 とりあえずケンイチ自身の物語に一区切りが着いたため、現在はケンイチを通して梁山泊の師匠達の魅力を掘り下げて行くという、「ラブひな」で言うところの住人編みたいなエピソードに突入している「史上最強の弟子ケンイチ」。
 住人編なので、エピソードの目的は勿論個々の住人キャラの魅力をアピールして読者を萌えさせるところ、そしてその住人キャラが主人公であるケンイチとのラブ度をアップさせる点にあることは、もはや言うまでもありません。

 その住人編の最初のターゲットは、「ケンカ100段」の異名を持つ逆鬼至緒。一見すると豪快で闊達で大ざっぱな性格に見えるけど、小さい子供に対する気配りを忘れない優しいところを見せたり、英会話に堪能な一面を見せて単なるケンカ馬鹿ではないところをアピールしたりと、読者に逆鬼の萌え要素を存分に見せつける構成になっているなあと思いました。
 勿論これは住人編なので、苦戦するケンイチに的確なアドバイスをして信頼度を上げたり、クリストファーにさらわれたケンイチを激しく心配したりと、ケンイチに対するラブっぷりをアピールすることも忘れません。見た目は乱暴だけど中身は繊細な逆鬼師匠を「ラブひな」に例えると、やっぱり青山素子でしょうか?(例えるなや)

 そんな感じで今回のお話の目的はあくまで読者を逆鬼に萌えさせるところにあるので、相対的に他のキャラクターの扱いが薄くなってしまうのは致し方ないところ。
 ストッキング+ミニスカ+眼鏡+靴の先に仕込み刀、という萌え要素の4連コンボを持っているにも関わらずイマイチ萌える描き方がなされていない刺客の女性の扱われ方が、今回のエピソード(というか「ケンイチ」というマンガそのもの)の志向性を暗に物語っているような気がします。

3. 扇一郎(結界師)

 主人公二人とその家族以外はどっかおかしい人ばかりがウヨウヨ出てくる「結界師」界において、その中でもおかしさ筆頭クラスに属しているのが「裏会」の最高幹部達でしょう。正守以外のメンバーは、もはや「力」と引き替えに人であることを止めているとしか思えない逸材ばかりです。
 もしかしたら、裏会の最高幹部達は「ベルセルク」における使徒みたいな存在なのかも。

 それで今回出てきた扇一郎さんですが、とりあえず人の形はしているものの、どう考えても頭がデカ過ぎですね。扇を一振りしただけで強烈な風を起こす能力は大きな脅威ですが、それ以上に彼のビジュアルイメージの強烈さの方が攻撃力高いと思います。
 あの頭巾の中に何が隠されているのか興味はありますが、もし彼らが本当に「ベルセルク」の使徒っぽい存在であるならば、多分中身は見ない方が幸せなのではないかと思いました。

 あえて予想すると、あの中にはモリゾーみたいなのが入ってるね。あるいはゴン太くん。

4. ブリザードアクセルの本当の主人公は花音なのではないかと思った(ブリザードアクセル)

 真打ちは一番最後に現れると申しますが、散々場を盛り上げた吹雪の活躍を受けて、ついに花音が登場。
 「だからボクは、キミの全力の滑りに全力をもって応えよう!」という台詞、そして彼の決意に満ちた表情からは、花音の本気っぷりが伝わってきます。前回までの吹雪のラデツキー将軍劇場をも前座にしてしまいかねない勢いです。
 というか、もし本当にそうなったとしたら、このマンガの真の主人公は花音ということになっちゃいますよ! ヤベエ!(ヤバいの?)

 果たして、花音が見せる「ラデツキー将軍劇場」は如何なるものになるのか。ネットの話題的には性別がバレて男装女子疑惑が晴れた時点でイマイチ勢いを失っているように思える彼ですが、そんなアレな読者をも新しい萌えに目覚めさせるような展開を期待したいところであります。

5. 「マズイな…早すぎる…」(クロザクロ)

 蘿蔔の本性キター!(AA略)

 やっぱりこういうマンガに出てくる少女は根性がひねくれてないとダメだよな! と思いました。
 萩の攻撃時のアレな表情っぷりといい蘿蔔といい、「クロザクロ」ってホント私の感じるツボを刺激してくれるマンガだなあ。

番外:ザスパ草津物語

 小島選手は初代「サカつく」で自分のチームの正GKとして活躍してくれた人なので、個人的にも思い入れがありますよ!(微妙に思い入れ方が間違ってる気がする)

 このマンガの作画担当の向後和幸氏は、この前出たサンデー超増刊で卓球マンガ「RUSH!」を描いてた人ですね。往年の北崎拓氏の作品を彷彿とさせる、爽やかな絵柄が印象的でした。主な登場人物が少女と子供達だった「RUSH!」は内容がその絵柄とマッチしていたので、とても面白く読むことができましたよ。
 ただ、「ザスパ草津物語」のようなオッサン主体の話だと、小島選手や植木監督のような渋いおじさま達まで爽やかキャラになってしまうため、なんかこう微妙に違和感が。サッカーマンガを描く為には、何よりもオッサンキャラを描けることが重要なのかも知れない! と思いました。

2005/05/10

■GW中に読んだマンガの感想特集(いきなり)

さよなら絶望先生

 「久米田康治」というネームバリューから期待される社会風刺ネタの冴えは相変わらずだが、その辺を抜きにしても、マンガとして普通に面白い作りになっているのは流石だと思った。「進路絶望」がそのまま「進路希望」として他の教員に通用してしまう第2話のオチには激しく感動。パロディの元ネタ探しも楽しいけれど、読者の「知性」を刺激してニヤリとさせる話をさらりと作って読ませるところこそが、久米田先生の真骨頂なのではないか。
 問題は、こういうセンスがどこまで「一歩」で「クニミツ」で「ネギま」なマガジン読者に判ってもらえるかどうかという点か。案外、半年くらいであっけなく終わっちゃう可能性もあるような気がする。

 あと、天敵の赤松先生が、久米田氏がマガジンっぽくない個性丸出しな作品をぶつけて来た件に対して「こういう戦法が通じたのはCLAMP先生だけ」みたいなコメントでその先行きを危惧していたが(4/26の日記)、でも個人的にはCLAMP先生もマガジンでは相当ダメージ食らっているのではないかと思う。ただ、CLAMP先生はゴッグ並に頑丈なので、「さすがゴッグだ何ともないぜ」理論でダメージを食らっていない様に見えているだけなのではないか。どうでもいいか。

失踪日記

 吾妻ひでお氏が失踪中に経験した社会の底辺における様々な出来事を、自らライトかつドライに綴った問題作。早くも今年度のマンガ賞を総ナメするのは必至と思われる傑作(というか怪作)。

 内容だけど、野宿生活編がやっぱり凄い。人間ってこんな極限状態に置かれても生きられるものなのか、と思うと同時に、案外こんな生活でも「生き続ける」だけなら何とかなるものなのか、とも思った。でも多分後者の感想は、吾妻先生の絵柄に騙されてるに違いない。あとアル中はやっぱダメなので気を付けよう。
 個人的には「先生ほどの方が何故!」と驚いている、ロリコン警官に激しく共感した。そりゃこんなところで憧れの大先生に会ったらビックリするよなあ。「夢」と色紙に書かせたりするのも仕方ないよなあ。

のだめカンタービレ

 前々から「面白い」と聞いていたマンガではあったんだけど、「講談社漫画賞受賞!」のアオリ文句に根負けして購入(弱い)。とりあえず3巻まで読んだけど、評判以上に面白い。音大という場所じゃないと存在が許されなさそうな奇人変人ばかり出てくるところがステキ。さすが「平成よっぱらい研究所」を描いた二ノ宮知子先生は違う。何かが。
 基本的には社会不適合者以外の何者でもないヒロイン役ののだめがやたら可愛く思えてしまうのは、主人公との掛け合いの面白さによるものなのか。それとも、やっぱり「これくらいの歳の娘はこれくらいおかしい方がカワイイんだよね!」と思ってしまいがちな、自分の歳のせいなのか。

 あと関係ないけど、「カンタービレ」という単語はなじみが薄いせいか、最初のうちは「のだめカンタビーレ」とか「のだめカンビターレ」とかとタイトルを誤解していた。
 恥ずかしいので内緒にしておこうかとも思ったが、試しに「カンタビーレ」や「カンビターレ」でググッてみたら結構似たような間違いをしている人がいたので、安心して恥を晒すことにした。

働きマン

 「監督不行届」のおかげで男性オタクの間でもすっかり名が知れ渡った、安野モヨコ先生のコミック。恋よりも女であることよりも仕事を優先して「働きマン」と化してしまう、大変に男らしい主人公の女性が大変に魅力的(人間として)。こういう女性と結婚したい! とか公言しちゃうから、自分は「椎名先生のマンガのファンって、やっぱり美神令子みたいな強い女性の尻に敷かれたいものなんですか?」とか他の女性から言われてしまうんだなあと思った(マンガの感想とは関係ないコメント)。
 それはともかく、このマンガはあくまで主人公を中心とした働く女性の視点で描かれているが、登場する男性陣もそれぞれ「仕事」に対して独特のポリシーとスタンスを持っており、誰もかれもがやたらと格好いい。読んでると仕事に頑張りたくなる効能があるので、仕事で気合いを入れたい人は男女問わず読むが良いです。

 あと、このマンガの中に出てくる「男スイッチ」というフレーズにおける「男」は、セックスやジェンダーとしての男ではなく、もっと抽象的かつ概念的な意味での「男」であることに違いない。こういう表現をする場合に最も適した漢字はやっぱ「」なんだろうと思うが、でも安野モヨコのマンガで「漢」はどうか。案外格好いいのか。

電波男

 みんな大好き「しろはた」の本田透氏が書き下ろした、現代社会におけるオタクが求める愛とは何か? を世間に訴えた話題作。
 マンガじゃないですが、読んだのでせっかくだからちょっと触れます。

 この本、本来なら不変であったはずの「愛」さえもが「金」と交換可能な資本となってしまった「恋愛資本主義」と著者が称する現代社会における哲学書としても読めるし、またそんな社会で「二次元」を愛するしかない境遇に立たされたオタク達に救済の道を指し示す宗教書としても読むことができるとても奥深い本なのだけど、基本的な位置付けとしてはやっぱり「負け犬の遠吠え」に代表される現代未婚女性特有の一方的な男性観に対する回答(というよりは強烈なカウンター)、と捉える社会学的なアプローチで読み解くのが妥当なのかなと思った。
 本の主張からは相当先鋭化している印象を受けるが、Exciteブックスのインタビューを読めば、著者の主張は「異性にモテなくて妄想に逃げても別に悪いことじゃない、と思えば気楽になれるよ」という点にあることが判る。そういう意味では、「いざとなったら死んじゃえば良い、と思えば気楽になれるよ」と主張した「完全自殺マニュアル」みたいな位置付けにある本とも言える。多分。

 そういう内容の本なので、どうしても語り出すととマジメになってしまいがちなんだけど、そんな中で「電波男と負け犬女の恋愛」という視点から書かれた、「Beltorchicca」(demiさん運営)の4/1の日記にある『電波男』評がもの凄く面白かった。
 ここまで電波男と負け犬女の恋愛に対するスタンスが開いてしまった今、果たして両者が歩み寄って愛し合えるだけの余地は残っているのか? 「電波男と負け犬女の恋愛」というテーゼは、今後の日本を支える世代でありながら将来に夢も希望も持つことができない、20~30代の男女が共有している心の問題をも象徴しているのではないか?
 そんな気がしてきたぞ?(気のせいかも)

※私信:

 今週は仕事が超忙しくなるので、しばらくの間は更新やコメントへの返信などの活動ができなくなります。スンマソ。
 あと、Amazonアソシエイトやbk1ブリーダー経由でお買い物をして下さった方々に感謝。

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